2011年8月、ドイツ・フライブルグ大学の夏季国際語学講座に参加して連載したブログの書庫。
ドイツでドイツ語を習ってこようとは以前から計画していたのだが、春先に起きた東日本大震災の私的後遺症があり、実際に行くかどうか、また行けるのかどうか決めかねていた。
さらに出発を決めてからもネットでの大学夏期講座申し込み手続きですったもんだがあり、かなり難航した経緯がある。
この間の事情は旅行中のブログ本体とは別に「外に自閉する
-2- 遥かなるラインの畔」というタイトルでブログ書庫「鬱へのご招待」カテゴリーで報告している。
時間的には先行する記述だが、紀行文ではなく、内容もはなはだテンションが低くおもしろいものでもないので、単に記録として最後にオマケにくっつけておいた。
また、本文記事の最後の方の「ドイツ語クラスで」は、これまた別のウッとおしい日常の些事があり、これも鬱逃れに「ドイツでの学生生活」を思い出して後で書いて付け加えた。
「ハイデガーと大島淑子」はフライブルグ在住のハイデガー研究者・大島淑子氏と邂逅した時の記憶をまとめた。
「ドイツでの学生生活」の以外に、「ハイデガーの存在論へのアプローチ」というのがこの講座参加のもうひとつの目的だったのだ。もちろんこれは振り向けばすぐ後にいる鬱の気配を陽気に振り払ってしまえ、という自分への冗談でもあったのだが。
しかし、思いもかけずハイデガーの専門家からこの先哲の息吹を実際に教唆していただき、私の自らを鼓舞するためだけの勝手な虚言だった「存在論研究」に貴重な実(じつ)を与えていただいた。
本来ならこれを躓きの石とし、余生をすべて真摯な学究生活にささげるハズだったのだが、そのような劇的な展開には至らず、元のふやけた日常に舞い戻り、あいかわらず終生の友「鬱」とつるんでいる様子は、さすがに私である。はひふ。
教示していただいた大島氏独自の存在論の展開をどうにかして論述しきるまでは私のフライブルグ紀行は終われない、と思っていたのだが、そのような不甲斐ないワケで一年後に単なる思い出話だけの記事にしてお茶を濁してしまった。 申し訳ございません。
また、ドイツの最新鉄道旅行情報もまとめようと思っていたのだが、これも手をつけないまま一年経過してしまい、もう最新でもなかろう、とかで割愛。
各記事の日付はブログにアップした時のタイムスタンプである。
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