[番外9] ブランデンブルグ... ドイツ語クラスで(2)
〔フライブルグ通信〕

ドイツ語クラスで(1)

2012/01/30

この正月に年始伺いに行った先で何やら「またも」失言を繰り返したらしく、しばらくその失態の心理的な後遺症が生活の合間に少々重苦しく張り出していた。
私にしてみれば失言し、良好な人間関係を損なうというのは毎度のことだが、それにしては私に学習能力が無く、結果的に私の宿痾のごときメランコリーの膨大な記憶データーベースが更に豊かになるだけである。
 
昨年はMal de monde (人に酔う)と称し、どうしてもこうでしかない私のうっとおしい外界に対する存在論的不安を観察し、少し文字に落とそうと試みた。その上でドイツの大学で夏期講座を受講し、アカデミックなアプローチから存在論的不安と称しているものを見据えようとした。
 
・・・という自分で仕組んだ冗談は表向きで、単に気分転換にドイツ滞在型旅行に行ったようなものだが、思いがけずも本当に専門研究者からハイデガーの存在論への手ほどきを授けていただくということにもなった。
わずかでも問題意識を抱いていれば、いつかはそのような機会を呼び込む契機になるのだ、と密かに得心したものだ。
 
しかし、その後一向にアカデミックなアプローチ(笑)方向に沈潜する気力はなく、ハイデガー資料を机の脇に積んだまま、ピアノとバイクとスポーツクラブの硬固な鉄壁の日常に埋没していた。
しかし、私の宿痾はそんなことではごまかされはしない。
忘れていると思いもかけず、これこのとおり目の前に出現しているのである。
絶えざる自己制御という苦役が私にはやはり一生ついて回るらしい。
 
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頃は良し、このあたりでフライブルグ大学ドイツ語夏期講座の教室での光景を思い出して記述しておくことにしよう。

私はよく喋り、冗談を飛ばし、常に快活だった。
もちろん、初級ドイツ語学習者としてそんなに饒舌であるわけではもちろんないのだが、発言しようと常にウズウズしているという心理が持続していた。
何か喋りたい。何でもいい。喋ることが私の中身自体で、それ以外に私はない。
 
Je parle, donc je suis. (喋る、故に我あり hemiq 1998)

このフランス語に同意していただけるフランス人は多いのではないだろうか?
いや、別にフランスに行かなくとも、ウチのハハオヤだって喋ることで絶えざる自己確認をしている風に見える。
そのハハオヤでも、ちょいと権威のあるような他人の前では急に殊勝になり寡黙を装う処世術は自然に体得しているようだ。
ギャーギャー騒ぐのはどこのガキでも同じなのだが、どうもこの国ではオトナになると強烈な自己規制をかけ、寡黙という美徳を自分の良心として同定することになっていく。
ただ、最近の観察では、現役を引退するともう一度ガキ本来の心性に立ち返るオジン・オバンがやたらと多いのは確かだ。
ウチのハハオヤもチチオヤが暴君をやっていた数十年は寡黙だったという。
まあ、この寡黙という徳は文化社会的に強いられた第2の心性ということでしょうなぁ。

元来、この国では以心伝心というノンバーバルコミュニケーションが最良とされてきた。
大事なことはコトバでは伝えられない。
それはあくまでコトバでしょうが。
行間を読め。
空気を読め。とか。
 
もちろん、「雄弁は銀、沈黙は金」というフレーズは仏語の辞書にも載っている。
西欧型社会でもガキのごとく喋るのはあまりいい顔をされない。
しかし人種が混交する社会では蓮華微笑のような神がかり的伝達は本来的に不可能なので、レトリックや雄弁術を駆使し、言葉による最大の伝達効率を図る以外にはない。
「沈黙」はあくまでコトバによる伝達技術を駆使した後の、いわば自助努力を尽くした後に、それでも残る不確定要素の別名である。その最後の不確定部分さえ知的に克服すべく、記号論理学という究極のコミュニケーションをも模索する文化圏である。
夏期講座の私のクラスでは日本人が三人いて、当然私を除き指名されていないのに何か言い出すという子供っぽさはなかった。
お二方とも私よりははるかに語学レベルが上なので、この寡黙は発語能力の問題ではない。
 
上智大独文3年M嬢は用事があれば授業終了後に流暢に先生と喋っていた。
私より年配のY氏も休憩時間には積極的に隣の若いのとドイツ語で楽しげに情報交換しているのが常だった。
だから授業中に発言しないのは、私のような冗談を言ってやろう、何か一発言ってやろう、というような絶えずザワザワした心的な欲求がないのだろう、と考える他はない。
クラスの最大勢力はロシア組で4名いたのだが、総じて発言量は少なかった。
偶然の人選だったかもしれないが、どこかに国民性のようなものを感じた。
 
しかし、語学のクラス内である。
積極的に発言する事自体はプラスの評価を得られこそすれ、非難されることではない。
Y氏からもM嬢からも、ドイツ語力はともかく、私の発言意欲におそれいる風な評を賜った。
Y氏は私の前職が仏語通訳であるということで納得し、M嬢は私が「まあ、関西風のノリというか・・」と自己分析をすれば、「ああ、そういうのがそうなのか!」と妙な風に納得してくれたのだ。 
この日露の文化圏を別にすると他の西欧文化圏の若者達の発言量は私なんかの比ではない。
当初、イタリア系スイス人のマリア嬢がイタリア人風にくだらないことをよく喋るので、彼女が喋りだすと「またか」風のうんざりした空気が流れたが、クラスが進行するにつれ落ち着いたので少々意外だった。
少し後で、下のクラスから昇級してきた同じくスイス・イタリアンのマルチーノがマリアの隣にすわり、饒舌のチャンピオンになったので、格負けしたのかもしれない。 

→クラスの女性陣(瑞・日・露+講師)

 
このマルチーノ君こそ私型の本能的な喋り人間だったわけだ。
アタマの回転も早く、情報もそれなりに的確。先生もつい饒舌の相手になってしまい、授業がいつも中断する。
意外と私と波長が合い、私の冗談が「昨日の教室で一番面白かった事」と日誌に書いてくれたり、ベルリンの壁の授業中に「この中で経験豊富な」私に東ベルリンのテーマで喋るようにし向けてくれたりする。
私もマルチーノ君には遠慮がなく、彼が発言して授業が立ち往生していると、彼の発言中にわざと「次、NO2の回答いきます!」とかぶせて先生に授業の進行を促したりした。
しかし50歳ちかく差がある、落ち着きのない若者と波長が合ってしまう私というのはいったい何なのか? 
←男子学生連
 
私やマルチーノが性格的「喋り」だとすると、デンマーク人のヤコブ君は真面目な秀才で常に率先して手をあげ、よく考えながらドイツ語を構成し的確な意見を表明する。ちなみに神学専攻の学生だった。
当初、ドイツ語能力はたいしたことがなかったのだが、積極的な授業態度で見る間にトップクラスに踊り出た印象がある。年配のY氏とクラスの人物評をすると、Y氏はヤコブ君のことを第一に賛嘆するのが常だった。
 
 
私の正直な印象ではロナルド君が才気と天分を兼ね備えた人物で、紛れもなく後で「世に出る」人物であると観察できた。
出自はプエルトリカン。アメリカの大学に在学し、この時点でスペイン語・英語のバイリンガルである。
宿舎が私達(Y氏、と2,3の年配日本人)と同じなので、ロビーで会ってよく話しをした。ちなみに、そこは貧乏学生用の宿舎ではない。

で、彼とはロビーではフランス語で会話していたのだ。外国人としては正確で落ち着いたフランス語を話す。
その言語地域以外で学習したにしてはこれ以上考えられないくらいの仏語力である。
ちょいと喋れる程度のヤツが、得意がって早口になるような浮ついた態度は微塵もない。
私が現地で生活し、ようやく実用フランス語のレベルに達した年月を考えると、コイツは天才という他はないだろう。
教室でもドイツ語の発言にこの語学習得の要領が出ていた。
先ず発言を切り出し、時間をかけて自分の意見を表現しようとする。
途中で先生に文法や単語の指示を求め、発言を修正して最後まで述べきる。
おそらく、この分では彼のドイツ語もすぐ実用レベルに達してしまうだろう。
 
専攻は哲学といい、9月の試験があり今月中にドイツ語の本を数冊読まねばならない、らしい。
事実、夜行型の私は深夜3時の宿舎のサロンで彼を2、3度目にしている。
「フライブルグへはハイデガーで、かい?」「まあ、そうだ」という話をした。
ちなみに私でさえ行かなかったメスキルヒ(ハイデガーの生地)にも週末に行ったらしい。
 
しかし、彼が本当に飛び抜けたエラいヤツではないかと思うのは、学問分野のことではない。
いかにも体育会系プレイボーイ風の見かけ通り、天才的によく遊んでいたからだ。
深夜に見かけた一度は夜遊びの帰りだった。
早朝の授業に遅刻する回数も多かった。
毎日必ずクラスの誰彼を誘って午後どこかに遊びに行っていた。

しかも夕方5キロのジョギングをし、時間的に都合のいいスポーツジムを探し、映画を見に行く。
私も遅まきながら宿舎周辺を走り出したのもやっこさんの影響だった。
で、密かに「歌手」という看板をクラスの中で確立していたこの私に、その方面でも対抗しようという素振りも見せたりする。
宿舎のサロンで私がピアノを弾いていると、誰かのミサ曲のアリアを朗唱して聞かせてくれるのだ。
 
この自己表現欲自己顕示欲はただごとではない。
常人の3倍量の生活局面を常にこなし、それでいて常に皆の中心であり、リーダーであり続ける。
あと20年で大統領くらいにはなっちゃっているような器だな。
彼は学問の天才という枠ではないかもしれないが、自分の参加している社会に働きかけようとする強烈な意志を感じさせる。哲学ではなく、政治家向き。
若くしてこの世界に自分がエンゲージしていくプログラムを着々と実行しているな、と私は見る。
 
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