外に自閉する -2- 遥かな... 存在と時間、自同律の考究...
〔フライブルグ通信〕

喪失への予感と新しくつけ加えるもの

2011/07/11

7・10(日)
奈良県社会教育センターで合唱団の合宿練習。
終了後、大阪の実家に帰るヨメを尺土駅(しゃくど)まで送りとどけ、後金剛・葛城近隣の町並みをしばらくバイクで走る。
土曜で梅雨が明け、快晴の真夏日だった。
夕方の少し和らいだ西日に照らされた郊外・田舎町の道筋をどこへともなく走ってみる。
そのようにして、見知らぬ町筋を自転車でたどっていた子供の頃を思い出す。
 
しかし、本当はそのような光景が実際にあったのかどうかは定かではない。
ありふれた古ぼけた道筋、自転車に乗った子供、郊外電車、西日の反映・・
すべてが、それぞれに過去に見た光景や、写真、映像、聞いた話を合成し、なんだか「子供の頃に自転車にのって見知らぬ町筋をたどる」というイメージを私の過去の光景として作成・定着させているのかもしれない。
半世紀以上を経て子供の頃の回想図が帰来するのは物悲しい。
↑いや、哀しいと書くべきだろうな(意味不明の笑)。
本当はそのような過去などなく、ただ私の頭の中だけで存在していたイメージなのかもしれない、と思うからか。
今はもう、どこにもない過去。
 
そのような形の回想、あるいは仮想が最近多くなった。
「喪失感」だと思っていた。
そうではなく、たぶんその正体は「喪失への予感」であると思い至った。
 
フライブルグ大学にメールを書いていて、震災の個人的後遺症という捉え方で私の内側のメカニズムを捕捉できた気がしたのである。
私は自分が「死ぬ」ことに興味があり、そのことだけしか考えてこなかったのだが、「震災」は本当の悲哀が別のところにあることを私に示唆した。
 
本当の悲哀は私が日常から消滅することではなく、周囲の日常が私から突然消滅していくことだ。
 
そのような「喪失への予感」を震災は気配として残してしまっていた。
ある程度歳喰って、過去を回想することは避けるべきだ。
今ではもう殆ど何も残っていない。
残っているのは名指しでき得る具体的なものではなく、「失った」という喪失感の膨大な蓄積だけ。
何を失ったのかはもう覚えていないのだが、失ったという悲しみだけが消えず、蓄積し、悲哀となって見知らぬ町筋に立ち込めている。
 
そして今日も。
合唱の練習や裏の池のほとりで持参した昼食を二人でとった何でもない休日の光景も、いつか突然消えていくのだ。
すべては突然消えていく。
 
喪失への予感。
それが私の震災の後遺症だったのか。
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ライプチヒ大学に続いて、問い合わせていたエアフルト大学より返事が来ていた。

返事は先週来ていたが、ラ大のような事務的なものではなく、かなりくわしい当方への質問がドイツ語で書かれていて、「ドイツ語で返事せよ」とかの教育的配慮もあったので、しかたなくドイツ語で作文し「フライブルグに行くことにしたので残念します」とか書いて送付しておいた。
 
この私のドイツ語メールに対する返事が来ていたのだ。
このエアルフト大の担当者はかなり親切な方と見えて、とてもすべての志願者に同様に返事しているとは思えないほどの子細で個人的な応対をしてくれている。
前回、添付し忘れていたという募集要項もついてきた。俗に言うエアフルト綱領。←(^^;
もう他大学に決めたので必要ないのだが、ちらりと読むと「ドイツ語の良好な基礎知識が必要(初心者ダメ)、特にゲルマン諸学やドイツ語専攻者向け」と記してあるではないか。
ちょっと早トチった。シキイがかなり高いところだった。
ドイツ語で答えてくれ、と促されたのは「教育的配慮」なんてものではなく、ドイツ語で書けないとハナシにならん、ということだったようだ。
おかげで、このやり取りが私の人生を通じて初めてのドイツ語でのメール通信ということになった(笑)。
 
「フライブルグもいいところできっといい夏をすごせるでしょう。
ところで9月には法王がドイツに来られ、ベルリンとエアフルトとフライブルグを訪問する予定なのを知ってますか?
来年は是非エアフルトに来て下さい。各国のいろんな年齢の方が参加するのは大歓迎です。
ことしも一人日本の方が既に申込まれていますよ。
先ごろ、一年間エアフルトで勉強していたアジア系の音楽学生がコンサートを開いたときのポスターを送ります。
この一番右側の女性は日本人ですよ。」
うーん。
担当のドリスさん、ちょいとノリすぎでは?とも思うのだが。
私は昔東ドイツ時代のエアフルトに行ったことがあり、歴史的にはともかく、ドイツもアノ辺までいくと本当に田舎なのだ。
日本人?と聞くと珍しがられた当時の雰囲気を多少思い出させてくれました。(笑)
 
で、そのメールの下にまたもフライブルグ大学の通知状。
「7月15日までにクラス分けの45分間のオンラインドイツ語テストを受けておくこと。」
やれやれ。
 
過去回想なんか、やってるヒマはない、ということだ。
まあ、それがそもそもの夏期講座参加の目的だったのだが。

 

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