〔フライブルグ通信〕
[D02] ストラスブール再訪2日目2011/08/09 8/6日(土)
早朝から目が覚め、部屋でパソコン相手にうろうろする。
前回のibis宿泊ではWifiが有料だったが、今回は無料になっている。 フロントで24時間有効なパスワードをもらえる。 今回はスマートフォンとパソコンを持参しているので、結局パスワード二組が必要だった。 朝食にビュッフェに行く。
残念だが、ここはフランスである。 主としてパンと飲み物だけ。肉類はハムだけ。サラダもなし。 客は圧倒的なジジババの世界だった。
ドイツ系の老人団体や老夫婦。 結局この人達がibisのような安ホテルを利用して常時旅行しまくっているのだろう。 退職後は旅行して周る。ヨーロッパでは車も要らず、どこにでもすぐに行けるのだ。 | |||
朝の散歩に出る。
←プチト・フランス地区
スポーツクラブ用の半ズボンにシャツ一枚とサンダル。
前回はパソコン入れたリュックを背負って歩いたが、今回は外出時の入力はスマートフォン+折りたたみキーボードにするので、小さいベルト用貴重品入れだけでで携帯できる。 軽装で歩ける楽しみ。
朝は晴天。
バラージュ・ド・オーバン(オーバン水門)が工事中でシートで覆われている。
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あ、これが本当のPONT COUVERT(覆われ橋)だい!と一人で笑ってしまう。
実は本当に私はこの水門をPONT COUVERTと長い間思い込んでいたのだ。
この冗談を確認したくて橋の袂の案内板をみると,、実はこれは「オーバン水門」で「覆われ橋」は隣の望楼付きの橋だった。
それ、見たことか。ストラスブールは全て知っていると思ってたのだが、実は・・というヤツだ。
とにかくカテドラル広場に行って、横の観光案内所で地図買わねばな、と改めて殊勝に決意する。
途中、グーテンベルグ広場近くで30年前に借りていた屋根裏部屋を探す気になる。
以前にも探したが確定できなかった。 人に訊ねるが今回もよく分からない。
この辺だとは思うものの、通りの名前がちがう。
土曜日朝の観光客でごった返すカテドラル前。
気のせいかアジア系が全くいないようだ。
日本人はともかく中国系団体も。もう中国でも第一次海外旅行ブームは去ったのかも。
観光案内所で一ユーロで地図を買い、ついでに4ユーロのトラム・バス24時間券を買う。
24時間券に簡単な路線地図がついてきた。これで充分なのだ。 一ユーロのストラスブール観光地図は必要なかった。
旧市街を過ぎ、大学に向かう。とにかくスト大に挨拶。
カフェ・ブラントで何か飲食、と思ったが朝食をたっぷり取ってきたので空腹感が無い。 大学前の芝生にあるベンチで観光地図(仏・日版)をしげしげ眺める。
いい加減な日本語で誤訳もたっぷり。
いったい誰が訳したんだろうか? フランス語が読み取れていないし、日本語もかなり奇妙だ。 おまけに校正ミスもあり、グーテンベルグ広場という訳が"La Maison Kammerzell"のところに付いている。 ちなみにこの記事の出だしはこうだ。
×「ストラスブールで最も美しい家は、数世紀を経て金持ちの商人の所有になりました。」ちがうだろ。 「ストラスブールでもっとも美しい家で、数世紀にわたり、富裕な商人達が所有してきました」としなきゃ。 サン・トマ教会:大聖堂を越えたところにある一番大きな街にあり、・・」あほか。
「当市(ストラスブール)で大聖堂の次に大きな教会で、・・」 このapresが分かってなさそうだ。英語でも「・・に次いで」はafter・・ですよ。 日本語がたどたどしいのでフランス人の訳かとも思ったが、これがわからんようでは初学者だ。
だいたいいい加減な日本語しか使えない者が外国語に習熟できるワケがない。
かように、ことのほか楽しい出来栄えなので、ストラスブールに行ったらこの仏日版観光地図を買って損はない。でも、フランス語に興味なければ損するよ。
カフェ・ブラントで何か、と思ったがたっぷり摂取した朝食のおかげでまだお腹も空いていない。
雨の気配もあり、駅に寄って明日のフライブルグ行きの切符を買い、ひとまずホテルに帰る。 前回、アルザス・エバジョンという周遊切符でバーゼルまで格安でいけた気がしたが、何もそういう格安切符はなさそうだ。 後で、インターネットでPass Evasionを検索したら、Pass Evasion廃止!という地元紙DNA2009年3月付けの記事が見つかった。 前回は何かと良かったのだ。今回はどうも何かとめぐりあわせが良くない。 ちょいと昼寝して、めんどくさいのでホテルのレストランに行ってメニュー11ユーロを注文。
ハイネケンとコーヒー付き。
パソコン眺めながら、田舎風あぶりソーセージをいただく。 たまに見る昔の同僚のブログに、昔の会社の話が書いてあったので思わずコメント。
フランスからコメント付けるのも面白かろう。
え?おもろない?さよか。 夕方の散歩に出る。
ヨメに電話。
用事が無ければコールだけしてすぐ切ることにしてある。
返信のコールあり、すぐ切れる。
もう一度コールあり、今度はこちらがすぐ切る。
あ、違ったか。要件あり、は二回コールするんだっけ?まあ、いいや。
市内を大回りするバスでヨーロッパ橋まで行ってみることにする。
ライン川をはさんだ仏・独の岸が公園になっていて、両岸架け橋が両国をつないでいる。
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ストラスブールはドイツの隣にあるということが私には大事だった。
だいたいそれが最初にストラスブールで学ぶ動機だったはずだ。
ドイへの憧れがぱっとしない青年期をなんとか生き延びさせていたのである。
さて、今回は本当に「ドイツ留学」(仮にもだ)なのである。
前回にはなかったフェンスがライン河畔公園を仕切っている。 ヨーロッパを自由に歩きまわれること。
結局その自由を得るために今まで私は人生的規模の時間と労力の投資をしてきたわけか。
それはそれでいいだろう。
いずれにしろ結果が残ってるということは全くのムダな人生ではなかったということなんだろうから。 ライン川。
この響きがヨーロッパへの憧れの底辺でかすかに鳴っている。 天候も良くなくあまり盛り上がりもしない今回のストラスブール訪問だが、この公園に座って幾分かの、これでいいのだという安堵感を得る。 ストラスブールを足がかりにしたのは、3日も前からフライブルグに行ってもしかたなかろうと思ったし、土曜発の航空料金の差額で2泊はできる勘定だったからだ。
それにわたくしのヨーロッパ旅行では、できればストラスブールに寄って自分の匂いをそこいらにつけ、記憶の更新をしておきたくもある。
なんせ、私のテリトリーであるのだからして。
うむ。改めて見回してみると電柱がないな。
ヨーロッパの犬はどうしたらいいのか、毎日さぞ困っておることだろうなぁ。
前回の「極超短期留学」時は冬にも関わらず、天候にも恵まれ、すべて良かったように記憶させているが、これは少々後付けの演出もある。
当初の数日間は、実は町を歩くたびに喪失感に襲われていたのだ。
「歳くって若いときに過ごした地を再訪するのは苦いことでもある。」と、どこかでちょっぴり書いた。
古い記憶を刺激してどうする、というのか。
やはり一人でヨーロッパをほっつき歩いている自分がいて、やはり何かを探している。しかし、もう私には時間がないのだ。 失った膨大な量の空洞をこれから埋めようとしてもとても追いつかない。
これからは喪失することが生きているということさ、と今は苦笑でもしておくか。
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「二つの岸の架け橋」を渡り、ドイツ側のベンチでライン川を見ながらスマートフォンに入力して時間を過ごす。
そのままドイツ・ケール市のシティホール広場からバスで帰ることにする。
この一体は静かで緑が多い郊外住宅地で、庭の垣根の外から「かわいい」家が並んでいるのが見える。こんなところで静かに暮らしたいものだ、とは思うものの。
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ケール市も当時はよく自転車で来たものだ。
見覚えのあるプールがある運動場が見える。あ、かなり遠くまできてしまった。
ストラスブール行きのバス停にもどる頃にはまた雨の気配。
市内に戻り、中心のクレベール広場まで行ってみる。
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しかし、例によってまだ空腹ではない。
そのうち小用も足したくなり、スーパーで何か買ってホテルに戻って部屋で食べるか、と考える。
クレベール広場のミグロス、3年前の主たる仕入れ場、レ・アールのスーパーに行くが、ホテル暮らしではレンジ・暑い湯が使えない。
隣の中国惣菜屋を見ても温めて食べるべきものばかりだ。
ホテルに帰って、小用足して深夜に駅前に行ってピザでも食うか、と方針を立てる。
今回は小用を足すことが散策時間を決めている気がする。
ヨーロッパでは一般に利用できるトイレはすぐには見つからない。
デパート・スーパーにもないのである。
単なる小用に有料トイレに入るのもバカバカしいし。
いつもトイレはどう処理していたのだったか?さて。
後で確認したのだが、実は男子の小用は自由で、うんちの方や女性はコインを入れて個室に入る形式の公共トイレが多かった。
ホテルに帰ってちょいと横になると、ああ、このままだと眠り込んでしまうなぁ、と思ったが、しかし、それでも、やはりそのまま眠り込んでしまった。
未だ時差ボケを吸収できず。
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