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〔フライブルグ通信〕

[D07] フライブルグと日本、ハイデガーを媒介とする、その弁証法的昇華

2011/08/14

8/11(木)
このタイトルはヘーゲルくさいのだが、ま、よかろう(^^;
 
実はハイデガーである。
 
なんと、この国際夏季語学講座では特別イベントとして講座当局の主催による「日本人のための特別講演会」があるというのだ。
大学本体(KG1)の講義室1199で、フライブルグ在住のハイデガー研究者・大島淑子氏が講演。

ここまで日本語にまみれて暮らそうとは予想もしていなかったが、毒食わば皿まで、とばかり最前列ど真ん中に陣取って講演を聴く。
 
実は我ながら驚いたのだが、私が冗談半分、ハイデガーを研究しにフライブルグ大へ行く、と書いた文脈と講演の主旨とが実にうまく呼応し、まるでこの講演を聴くということを予め予知してフライブルグに来たかのような、絶妙なタイミングだったので自分で勝手に盛り上がってしまった。
 
私はドイツ語SEINの文法的役割への疑問にこじつけて、言葉遊び、または三題話(フライブルグ・ハイデガー・存在論)として存在論をもちだしたわけだが、正にハイデガーやその研究者の大島氏ともども、最初の躓きの石はこの主語と補語を繋ぐSEINの問題からだったと明確にここで教唆されたのである。

この内容に関しては別項で纏めることにして、今は省く。
最後に大島氏は夏期講座の「おみやげ」として、和辻哲郎の言葉を講演の最後に置いて話を閉じた。
「(主語を立てない)日本語による哲学の構築を目指せ」
 
いや、しかし、フライブルグ大学の講義室1199の横にはフッサール書庫があり、今もフッサールの未定稿が編纂されているし、二階の夏期講座の100周年記念式典があったAULA、まさにその講堂でハイデガーがフライブルグ大学教授就任記念講演をし、九鬼周造をはじめとする数名の日本人哲学者が聴講していたのだ。
そのような目くらましい歴史を教えられ、やはりフライブルグ大学でよかったのかもしれないと思いもした。
 
 
← ハイデガーが教授就任講義をしたAULAの壁画。
 
 
講演終了後、私が2つ質問をし、その流れもあって有志数名と大島氏を囲んで大学のカフェに陣取って雑談に興じた。
 
私の質問の一つはハイデガーの表記が「ハイデガー」か「ハイデッカー」かという下らないものだった。
しかし、大体京都学派は「ハイデッカー」で対抗上東大系が「ハイデガー」と表記するとの回答を得、関西人としては「ハイデッカーの方がソウデッカーと覚えやすいので」と混ぜ返して笑いを取った。
実はこの「ソウデッカー」はストラスブールのカフェで元同僚のブログのコメントにつけたギャグが元ネタだった。
 
大島氏と2,3名の独・日の哲学専攻学生、それに上智・日大の夏期講習生たちとカフェで雑談。
何ということかここまで日本語にまみれて過ごそうとは思ってなかったんだが。
夏期講座の始まる前にはこんなに日本人だらけではなかったと聞いた。
 
また、やはり駅前の建物解体現場はやはり旧大学施設だった、とこれは日・仏語も喋る日独関係研究者のドイツ人Till Philip Koltermann氏にスーパーマーケットに一緒に行く途中で歩きながら聞いた。
 
今フライブルグに日本人がわらわらと湧き出ていることにも、歴史的にはこのハイデガーと日本との関わりが遠因となっているのである。
 
ならばよし。
ハイデガーをキーワードとし、フライブルグにおける日本という存在を私はきっぱりと受け入れることにしよう。
  ↑フライブルグでハイデガーを読む 但し邦訳だがね。
 


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