[D22,23] 住家のご紹介 [D23-26] 南シュバル...
〔フライブルグ通信〕

[D20-26] ドイツ語、少しは?

2011/08/28

文字通り「ああっ?」という間に夏期講座も終盤、もう最後の週末ですが?
学業ねぇ? 一進一退というところですかね。
それでも第一週では殆ど聞き取れなかった講師の早口に対抗し、なんとかフォローして
適当に茶々を入れたりができるようになったと思えたのだが。
 
私の突っ込みで我ながらすばやく切り返せたヤツはこう。
 講師「確かなことは男が政治をやるからロクなことはない。男がすべての紛争を引き起こす。女性なら絶対にそんなことはしない!」と言い、バンと机をたたく。
すかさず私「しかし、マーガレット・サッチャーはフォークランドで戦争やりましたぜ!」
今日は日本に関するクイズを作成し、読み上げようとして自分の字が読めなくてつっかえて困った(^^;。
読むのではなく、アドリブで言うのがいいのだけど、途中でとちりそうなのでノートを見てしまったのだ。
当意即妙風のつっこみ茶々を入れるのは得意だが、文章レベルの発話発言がたどたどしく本日は自分で落ち込む。

ちなみに自作三択クイズの問題の一つ。
日本人は中国語を
(A)
話せるが書けない
(B)
書けるが話せない
(C)
話せるが意味がわかってない。
12,3名で構成している同じクラスに最終的に3人日本人がいる。
もっともわがクラスで最大勢力を誇るのはロシアの4名組だが。
日本組の中で発話量では私が一番多いが、ドイツ語の実力では私が最下位なのはいうまでもない。
日本人だけではなくクラス全体で私が一番ドイツ語が解ってないんだろう。
単語や文法の圧倒的な知識不足の私が、どうして発言できるのか不思議だが、実は文章ではなく単語を飛ばしてかき混ぜているだけなのである。
とにかく、私以外はいずれもドイツ語の現役学習者なんだからコチラとしては太刀打ちしようがない。
唯一、常に講師に一番近い最前列席に居続けているのが私としてのささやかな意地である。(←見栄ともいう^^;)
 
今回のインターナショナルドイツ語夏季講座には日本から本来学生ではない5人のオトナのオジさん、オバさんがもぐりこんでいたようだ。
そのうち一人はれっきとした大学の現役の先生(<>40歳・言語技術専攻)で業務研修といったところ。
後は年金4人組で、すべて私と同じ宿舎の住人だった。
私が最年少で、紅一点の気さくな・・サンはドイツ語の先生だそうだが、2週間でソクサクと帰国。
 
で、私とドイツ語学習歴4年のY氏がたまたま同じクラス。
クラスは20くらいあって、われわれが丁度中間レベル(A2からB1)のようだ。
日本人学生の大半がA1かA2でウチより上のクラスでは複数の日本人が同一クラスにいることはないようだ。 
このY氏、私より先輩なのに休日や平日午後に寸暇を惜しんでスイス・フランスに精力的に出かけていく。
だから、年齢はちょいと私より上でも若者並みの好奇心でこちらにやってきている感があり、精神年齢の若さでは、早くからおじいちゃんを決め込んでいる私なんぞが及ぶところではない。
しかし、あと一人の高齢組日本人は70歳の方で、MENSAでご一緒したところ、私よりももっと多い量の料理を取って食べてらしたのには度肝を抜かれた。
学習歴10年、この夏期講座の常連で、今回も講座終了後まだ当地のゲーテインスティチュートを後一ヶ月受講されるそうだ。
まあ、Y氏にしてもこの大先輩にしても、昔の旧制高校生が憧れたドイツの学生生活という夢の切れ端を多感な時期に頭に摺り込んだまま、今日までひきずってきているいるのは確かだ。
 
クラスの日本・ロシア組以外はばらばらでデンマーク・イタリア・スイス・プェルトリコ。
しかしこのばらばら4名の発話量は最大勢力ロシア・日本組を圧倒的に寄せ付けないくらい活発だ。
ロシアも日本と同じくあまり喋らない文化圏という感じか?
 
Y氏は「読み・書きはいいんだが、聞き取りがどうも」とクラスで寡言を弁解していた。
すかさず私の与太が飛ぶ「私なんて、読み・書き・聞き取りすべてダメでヘレン・ケラー状態ですよ!」
 
でも相変わらずすんなりとは喋れないが、最近聞き取りだけは耳が付いてきたような気がする。
気のせいかな?
昨日はハイデガーが住んでいたというツァーリンゲン地区に行き、別に他の目的もないまま山側に向かって歩きだし、やはり背後の黒森に吸い込まれてしまう。
Y氏は相変わらず今日も「外国」に行っている(本人弁)ようだが、私は一人で静かに散歩をすることも今回の目的の一つだった。
街の見晴らしで有名なシュロースブルグよりは高所にのぼり、そのままぶらぶらと森の中を散策する。
縦横に遊歩道が設置されていて方向表示票も完備されているが、当方持参の地図では通りの名が小さすぎて現在地の確認が困難だった。
大回りしてシュロースブルグから降りようと思っていたが、元に登ってきた地点とあまり違わない通りへと下ってしまった。
下界に下りたのはいいが、方角の見当が付かず夜になり、見知らぬ異国の街路さまようハメになる。
神戸のように山を背後にすればメインロードに出られるはずだが、道がくねっているので一筋縄ではいかなかった。
後で良く考えればi-Phoneのコンパスアプリや地図アプリで街路上ならGPSによる現在地確認ができたので、さ迷うことはなかろうに。
どうして人は失敗する前に反省しておけないのだろうか?
{D22.23} 住家のご紹介 blog upload: 2011/8/28(日) 午後 5:39[D23−26] 南シュバル... >