〔フライブルグ通信〕
ハイデガーと大島淑子 (2)2012/09/14 この日、講義の終了後有志10名くらいで学内のカフェ・オイローパに行き大島氏と歓談した。
コーヒーを飲みながらの歓談なので、その時はそれ以上ハイデガー関連の話には進展しなかった。 ---
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数日後、またNothen部長からメールがあった。 今度は日本人一般ではなく、私宛。
入学時の経緯があり、今度は何だ!と少々気色ばみはしたものの、もう入学しちゃってるので何を言われようと受けて立ってやるぞ、という気になっている。(^^;
大島氏が私に連絡してくれ、と大学を通じてコンタクトしてくれたのだった。
このとき、大島氏とNothen部長が親しい友人であることを知った。 入学登録時には私をハネ切った大学当局が、今度は逆に個人メールの転送を依頼され私を探している、と言う状況が何とも愉快な気がした。 大島氏がコンタクトしてくれ、といった相手が登録時にモメにモメた問題児の名なのを見たNothenさんが一体どう思ったのか知りたいものだ。 その後、2、3度Nothenさんを見る機会はあったが、そんな個人的なことを訊ねてみる場面ではなかった。 大島氏はまた懇談会をしましょうと、私にセッティングを依頼してきたのだ。
どうやら、前回は有志で集まったのだが、私がどうも首謀者のような顔をしていたのかも知れない。 ・・・というより、私が最年長だったということかな。(^^; それから2、3日、学内の日本人を見るたびに声をかけてまわった。
そのような口実で、上智や日大・高知大の現役女子大生にアプローチする内的動機もあったかも(^^; ーーー 今度も学内のカフェ・オイローパに集まった。
この回は私のツテの関係で同宿のN氏やY氏というオールドボーイ達が中心の5,6人。
若者中心の前回とは違って、もう少し詳しく専門分野の話が聞けた。
N氏はハンミュンデンの鉄ヒゲ博士の歌を私に思い出させてくれた、正統的ドイツ語郷愁世代で、前年すでに大島氏とは旧知の間柄だった。
私と同クラスで同宿のY氏もここでタダの企業退職→海外旅行愛好者ではなく、ヘッセへの思いいれや文学への薀蓄をちらりと見せてくれた。
私が日本における自我の問題(「自分とは何か」)への最初の提議者として夏目漱石を挙げ、Y氏はたちどころに雅号を引用する。「即天私去」、それが漱石の自我意識への理想の態度であったのだろう。
漱石の話が出たとき、ついでにいえば、というような調子で大島氏から意外な発言があった。
日本の作家で評価しているのは漱石、三島由紀夫、埴谷雄高の三人、というのだ。
漱石、三島はある意味で当然だが、そこに埴谷の名が出たことに私は驚愕した。
うむ、そういうことだったのか。
してみると大島氏もあの時代の空気を共有した文学的同時代人だったようだ。
大島氏は黒川健吉が下宿ちかくの朝鮮人のいかけやと言葉少なく話す場面を引いた。
それを読んだときこの人は本物だと感じた、という。
あっと、そういえば生きのいい若い研究者が一人来ていた。
大島氏が自分で呼んだ学部の留学生のようだ。
「・・さん、今何読んでるの?」
「フッサールの・・」
「早くフッサール卒業してハイデガーしましょう!」とか大島氏。
私が再度フランス語とドイツ語の違いに話を持っていき、フランスの存在論でサルトルの例を出す。
フランス語では論理的な同一律への懐疑は言語として生じないハズ。
サルトルの「嘔吐」ではマロニエの根を見ていて生じる生理的な嫌悪という生理的な要素が嘔吐を引き起こすことになっている・・とか言う。
すると、この若い哲学徒クンがするするとサルトルの存在論の骨子を概説してくれるではないか。
いやぁ、実は前回は上智・日大の女の子達しかいなかったのだ。
もちろん文学・哲学にかけては年配組みの薀蓄にかなわない。
それにハイデガーなんて今どき学びに来る学生なんているのかな?と思っていた。
しかし、彼は若くて聡明な現役の哲学徒である。
やはり今でもフライブルグに哲学を学びに来る真摯でしかもカッコいい若者がいるのである。
「日本はまだまだ捨てたもんじゃない」風なジジムサイ定型的慨嘆をこの若い哲学徒は抱かせてくれた。
何か私が話を仕切っていたようだが、私が主催したので当然である。(^^;
それにもう大島氏とはある程度懇意になっていて、軽く冗談もいえるようになっていた。
私は本当にフライブルグでハイデガーを読むつもりで、これこのように「存在と時間」の訳本を持ってきた。
しかし、大島さんの講義をきき、親しく解説を伺ってもう全部解った気になってしまいました。
こんなに簡単にハイデガー解っちゃって、いいんでしょうか? とか、
ハイデガーの私信がある?
ええっ、それって「何でも鑑定団」に出したらエライお金になりますよ! とか。
しかし、日本から参加組にはウケたのだが、大島氏はもちろん「何でも鑑定団」をご存知なかった。(^^;
たまたま、その週から司会の神助の不祥事でこの番組が無くなるのだが。
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この日、大島氏は年配組とレストランに行ったのだが、私は夜の現代文学の講義があり最初の頃だったので抜けられず夕食のご相伴は失礼した。
夏期講座も終了する間際にもう一度大島氏と懇談する機会を得た。
そのとき、やっと大島氏に「何でも鑑定団」級のコレクションを見せていただけたのだった。
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