14 日常生活雑記
16 ドゥドバイラーという町
[ザールラント通信]
15 遠足No2 ハイデルベルグ
2013/08/19
早起きして遠足。8時半中央駅集合。
しかし、点呼時事前申し込みが必要だったことが判明。
配布された案内にはそう書かれていなかったが、残りの学生は全て申込み済みだったのでやはり私の誤認と考える以外にない。
説明時確認したのだか、申込必要とは言ってなかったのに。
まあ、鉄道団体割引使う場合は数合わせで事前申し込みが必要なはずなので、再確認すべきだった。
キャンセル待ちをしたが、結局自分で切符買って自費参加ということになった。
シェーンボーヘンエンデ・チケット(週末周遊券)44ユーロ。
5人まで有効の団体割引だと一人8ユーロ。
では一人でも団体割引券を買った方が安上がりという計算になるが?
仔細不明。
それにしてもこの間の悪さ。
何かテンションが上がらんぞ。
鈍行2時間半でハイデルベルグ。
途中、ライン川を越えマンハイムを通過する。
30年前、当時グルノーブルにいた私はドイツに旅行し、マンハイムで初めてライン川を見た。
「マンハイムの選帝侯」という響きが私のドイツへの憧憬をかき立てていた。
往時のドイツには神聖ローマ皇帝を互選する7人の選定候がいたのだ。
「そのうち一人がザールブリュッケンの司教なんだぞ!」・・はいはい、ありがとさん、マリウス君。
また途中、Frankenstein という名の駅が。 なんせフランケンシュタインですぞ。
またまた途中、Neustadt(ノイシュタット)という比較的大きな町も。
ことし冬にストラスブール駅で「ノイシュタット一枚」というと最初に渡された切符がここだったのか。
ストラスブール駅切符売場では誰もシュバルツバルト山中のNeustadtを知らなかった。
しかしまあこの辺り(Pfalz地方)、シュバルツバルトと比べるのもなんだが、あまりたした景色の地方ではなかった。
さて、ハイデルベルグ。
一二度来ているはずだが、ネッカー川を見下ろす哲学の道しか覚えていない。
歩きながらベラルーシのFB名AKIRA嬢と談。
本名アリーナだがやはりマンガから名前を借りたらしい。
そのくらいだから、旧市街に着くまで日本について色々尋ねられる。
今回の滞在でのドイツ語会話最長不倒・・最後に倒れたかな(^^;
ドイツ最古のハイデルベルグ大学。 アルトハイデルベルグである。
この辺りが日本人としてのドイツの大学への憧れの原点である。
この威厳と郷愁に満ちたドイツの大学よ。
それにつけてもザール・・・もう言わないでおこう。
言ってもしゃーないが、ザールを見てドイツを見ると、やはり憧れと郷愁だけでが現実ではあり得ないことが解る。
ハイデルベルグ大学の校舎のひとつに夏季講座の看板がかかっている。
このような晴れがましいところで一夏過ごすことも出来たのだが?
それにつけてもザ。
うむ。なんという違いか?
一緒に居るのはエジプト人の八っつあん、じゃなくてハッサン。
FaceBook上で彼の「友達」になったのはいいが、政変のエジプト情報が連日のごとくアラビア語で入るので往生する。
日本に帰ったら真っ先に削除せねば(^^;
100人以上もFB「友達」を作っている方は毎日の多量のFB情報の処理をどうしてるんだろうか?
案外「友達」承認・申請はそのときだけの挨拶で、直ちに情報カットしているんではなかろうか?
そうでないと本当に重要な情報が埋もれてしまうだろう。
この日、ハイデルベルグで一番古いホテル、Ritterで結婚披露宴があったようで、正装した、まごうことなき日本の方が数名ホテル前で談笑していた。
ドイツ人の新郎と日本人の新婦。
後でネッカー河畔をオープンカーで走っている正装新婚カップルも目撃した。
世界最大の人口大国が今世界にその持てる人口を世界に配分している。
そして観光だけでなく、実際のその土地の中国系生活人口も確実に根付き増えている。
なんせ私が自治会長をしている奈良のとある町のアパートにもその世界的な波が押し寄せてきているのだがら。
ネッカーの畔のカフェでビール。
よくビールを飲むようになった。
昔、私はビールを飲む習慣さえなく、やみくもにヨーロッパの町を歩き回った。
疲れ果てて、それでもカフェに入る気にはならず。
がつがつと。
今でも多少、レストランとかの選択に心理的に難航しているのだが。
やっとカフェでビールをゆっくり飲めるような年齢になり、本当うに良かったよ。
アルトハイデルベルグ城と旧市街。
城の入場料で学生カードを出したが、割引は22歳以下だけと言われる。
負けずに「18歳です」と返すと、笑われてしまった。
それにしても、いつもながらだらだらとふざけながらの団体行動がつづく。
こういうとき、さすがにふざけあう若者の中に混じっていることの間の悪さを感じる。
以下、だらだら集合自由解散を繰り返し、アルトハイデルベルグ城と旧市街、ネッカー河畔をうろうろ。
ハイデルベルグ城には製薬博物館も付属していて、ドイツ製薬の歴史が展示されている。
ドイツ人は薬好きで、休日でもどこかの薬屋は開いている。
ドイツの怪しげな薬造り道具を見ていると錬金術やホムンクルス伝説が胚胎するような伝統が見えてくる。
フランスではなく、ドイツは何かしら魔法や魔物が隠れ住んでいる。
アルトハイデルベルグ。
その昔、憧れにあふれ頭の中にこびりついていた町である。
しかし、もうその頃のユーフォリーが立ち込めてくるような若々しい感受性はなくなっている。
いやぁ、流石にきれいで観光資源の豊かな町だよな、しかしクソ暑いなぁ、とか。
やはり若い頃に行きたいところに行っとかないと。
歳くって余裕ができても、もう思い入れに感応する感受性が枯渇しかかっている。
まあ、感受性はなくなっちゃったが、体力はまだあるようだ。
で、こうやって学生に化けることが出来ている。
↓ ケバブを立ち食いしたトルコ料理店の料理。
焼きナス・焼きトマトがうまそうだった。
自由解散後7時にハイデルベルグ中央駅前に集合。
それから鈍行でザールブリュッケンに帰るのだが、最近ドイツの鉄道は遅延が頻発しカオス状態である。
満員の週末のドイツ国鉄鈍行。
実に2時間の立ちっぱなし状態で、ヘコたれる若い連中を後目に、涼しい顔でハイデルベルグの古本屋で買った書物 "KLEINE KUNSTGESHICHTE DES DEUTSCHEN FACHWERKBAUS"を立ち読みしている私。
実は半分が写真の本である(^^;
見たか、満員の通勤列車生活20年の日本のサラリーマンの底力。
途中の乗換駅カイザースラウフテンで列車の遅れから一時間も時間待ちをし、結局ザールブリュッケン到着がなんと深夜11時半。
なんとね。
ただ市バスが夜の2時台まであるので助かるのだが。
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blog upload: 2013/8/19(月) 午前 2:01
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