[ザールラント通信] |
17 近郊探索 ザルグミーヌ(FR) |
2013/08/24
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8月21日(水)
午後6時にピアノ練習を終え、音楽学部に鍵を返しに行くがまだ陽は高い。
今日は市内の公園にでも行ってビールでも飲んで帰るかな・・と思う。
取りあえず駅まで行き、駅の時刻表や駅前バスターミナルの時刻表をいろいろ検討。
結局、フランス側の国境の町ザルグミュン(Sarregumines)に行くことにした。
(↓ザルグミーヌ陶器博物館のHPより)
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こちらはザールブリュッケン市唯一の路面電車路線が国境を越えて通じている。
もちろん私の持っている市内均一区間パスの範囲外なので自販機で切符を購入。
5.1ユーロ。フェルクリンゲンとの逆側で同じような距離になる。
夜の七時にザールブリュッケン市内を離れ、これから思いついて「外国」に行こうというのである。
景色は相変わらず工業都市の周辺の工場が散見する少し荒れたザール川岸の森林地帯。 |
こんな風に、今までみたこともない国境地帯をのんびりと夕方探索に行くという今の自分の気楽な立場を思うと少々笑みがこぼれてくる。
別にドイツに今日中に帰らなくともいいんだし、どこに行こうが私は別に何とでもできる。
外国に居ることの完全な自由。
完璧な自由の中に自閉できている。
久方ぶりの愉悦。
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しかし、景色は相変わらずのどかな田園風景とはいかず、少しさびれた工業都市周辺地のまま30分。
カメラを構えて待っていたが、とうとう国境らしき表示はなかった。
線路脇に放置されているようなドイツ国鉄の廃棄車両→
赤茶けた工業国ドイツの色。
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ザルグミュン(ザルグミーヌ)は、この前行ったディリンゲンよりも少し大きいくらいな町のようだ。
駅前に立つと何か、ことさらにフランス的だった。
駅前の花壇か、駅横公園前にシンメトリーをやっている裁判所か。
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ロータリーの中央安全地帯にことさらに花。
なにか町の規模にしては飾り立てすぎのような気もする。
いや、フランスはいつもそうだったのか?
何の愛想もないザールブリュッケンから来ると、ただの田舎町でも飾り立て過剰とみえてしまうのか?
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すぐに川に突き当り、遊歩道と川遊び用の船。
なんだかストラスブールで散歩していた川筋の光景に似ている。
川向うに目立つ建物がある。
近寄れば「Casio de Faience」(陶器のカジノ)。町の案内表示にもMussee de Faienceがあったので、その昔は陶器の町だったようだ。
その昔というのは、カジノは現在はレストランになっていて市の所有である、との看板があった。
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どことなくアールヌーボー調で、陶器という素材のエキゾチシズムを感じさせるユニークな建物。
←市の陶器博物館のHPから写真を引用。
どうですか、何となくアールヌーボーでしょ?
昔は陶器の町だったようだ、と書いたが、Wikipediaでは「陶器製造が盛ん」と現在形で書いてましたがね。
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川筋に降りて、建物の外のテラス越しに写真を撮る。
ここでビールにすることにする。
時間からいえば夕食時。
なら、メニューに出ていたタルトフランベも食べることにしよう。
ザルグミューンの旧カジノのテラスで川風に吹かれながら軽く食事とビール。
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ゆったりと、夏のすごしやすい夕刻を国境の小さな町で楽しむ。
何故か日本ではこのような時間はどこにもない。
そういう場所さえない。
喫茶店ではビールを出さないし、レストランでビールだけ飲むということもない。
今回はタルトも注文しているが、食事時外ならビールだけ飲んでいる人も多い。
ここではビールやワインは酒を飲む、という感覚ではなく、コーヒーを飲むという意識に近い。
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タルトフランベ(ガルニ)が来る。
アルザスの郷土料理だがこちらでも出しているようだ。
メニューを見ると「キッシュ・ロレーヌ」(ロレーヌ風パイ)があった。
ロレーヌ地方に敬を表してそちらにすべきだったかな?
あと、食後のコーヒーを飲んでゆっくりし、13ユーロでございました。
ちょっと夕方から国境を越え、フランスでちょっと何か食べてくる優雅な夕方。
ビールが飲めるようになって良かったなぁ・・と、つくづく(^^;
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結局、ザルグミーヌではこの旧カジノのレストランしか見ていないのだが、それでいのだ。
別にがつがつ見て回る必要もない。
それに、多分観光資源としてはこの辺りと陶器博物館だけしかはない町と言っていいと思う。
また駅前ちょっとだけ観光をしてしまったが、今回はレストランで食事もしたので滞在時間は堂々2時間突破。
ザールブリュッケンへ市電への接続は一時間に一本しかない。
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9時過ぎて夜の気配が急に濃厚になり、急いで駅に戻る。
←駅舎にはめ込んであった戦争で死んだフランス国鉄職員の名前のプレート。
「この前の戦争」風だが既に前世紀になっている。
三世代、4世代経てしまっているのだが、こんなプレートが未だに掲示してあるということがアルザス・ロレーヌ/ルール・ザール地方の歴史の何事かを語っているようだ。
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