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[ザールラント通信]

23 さらばザールブリュッケン、私の夏(1)

2013/08/31
(1) お別れパーティの夜
 
8月29日(木)
いやぁ、最後のパーティまで付き合って参加してしまった。
 
各国の料理を持ちよりで、という条件だった。
日本人は私一人になったのでパスしようか、とも思ったが、毒食えば皿までとばかり参加することにした。
こちら風のパーティ開始時間で、夜8時から。
夕方、ごまかし手でオカキか何か売ってないかと町の中国商店に行ったがもちろんない。フランスの中国商店の品ぞろえとは比べようもない。
おまけにアラブ系商店も少ない、というかなさそうだ。
仕方がない、カップルードルでごまかすことにする。
お湯が要るが、なんとかなるだろう。
日清のカップヌードル(ドイツ仕様)がスーパーREVEに置いてあるのは知っている。
本当は袋ラーメンが安いが、まさか自室で作って持ってくるわけにはいかない。
お湯はチューターのリーサに相談すると、電気ポットを持ってきてくれた。

←これで日本のJAPANISHe Nudeln を出品することができた。
パッケージ5個を積み上げるとそれなりに形になってくれたので一安心。
ただし、実際にはお皿がメインの立食形式でコップに小分けしたヌードルを持ちようがないので半分くらい余っちゃったが。
 
 
参加者50名くらいか。
結局、私も殆どすべての行事に参加し、すべてのメンバーと顔なじみになってしまった。
うれしいことに私の海外用キャラクタにはそれなりのポピュラリティがあり、また日本と言うブランドも未だそれなりのバリューがあって、適当に若者の中に割り込んでも歓迎こそされ、違和感を抱かれることはないようだ。

おそらくこの年齢で、大きくは浮き上がらず、それなりに若者達に紛れ込めるというのも私の特技ではないか。
日本ではまったく通用しないキャラだけど(^^; 場は盛り上がり、いろんな組み合わせで写真を撮りまくり、ウチのクラスの仲良し4人組は隅で固まって抱き合ってい、なんだかそれなりの最後の夜という雰囲気になってきた。
わからないようにそっと抜け出すと、表にカルロスとオマールが居て、二人だけにはしっかりと別れの挨拶その他付随のやりとり一式を行って握手して別れた。

特にカルロスとはパーティの席でもずっと同レベルの英語で喋り、何事かは通ずるものもあった。
過去の例でも「メール書くよ」なんて言ってても国に還ればまったく忘れてしまうが、この人物だけはひょっとしたら本当に書くかもしれん、と思ったりした。
さて、一人になって夜の学内を歩いていると、それなりに感染してくる感覚がある。



これで最後か。

もちろん若者の一夏の「夢のような」体験と同じ濃度というわけではないが、私にとっても非日常的体験であったのに違いはない。

これで最後か・・・という久方ぶりの哀惜の念。
まさか涙はでるわけはないが、多分あの仲良し4人組は今頃抱き合って泣いてるんだろうなという実感はある。

...バスが来た。ドッドバイラーに帰る。
 
夜風が涼しくまっすぐ帰る気にはならず、そのままチンケなドゥドバイラーマルクトプラッツのベンチで独りしばらく涼をとりながら、いつになく上気してしまった頭の方も冷ましていたのだった。
 
 
 
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