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[ザールラント通信]

24 さらばザールブリュッケン、私の夏(2)

2013/08/31
2) 教室にて

(最終日の記念撮影: 最前列最左翼が見事学生に化けおおせた私。同胞二名は既に逃亡
ザールラント大学の夏季講座は他大学の講座より少人数なだけ、全員が顔見知りになってしまうということになる。

若者達とはかなり年齢が離れているので、私はもちろん彼らとツルんで夜の町に繰り出して騒ぐ、というようなことはなかった。
それでも大学で過ごしていて、行き合う学生達の中に知った顔があると、手を上げたり笑いあったりして合図する。
同クラスの連中だと、全員名前を知っているので名前を呼んで軽く、よっ!程度の挨拶が出る。
ことに私は途中で自発的にクラスを落としたので(^^; 2クラス分の同級生達がいることになる。
教室で後かたずけしているのは講師カテイア ↓
彼女が一番若く、例外的に細身(^^)/
一度ジーンズのミニスカートで登場し、こちら風にあまり露出を気にしないで、前の席の連中に身を乗り出して教えたりする。
気になって勉強できなかった(^^;
 
黒板の横に洗面設備→
 
ドイツでは「黒板消し」でなくて雑巾に水を含ませて字を消し、洗面器で洗う。
黒板が濡れて、その上にチョークで字を書いても良く見えない。
そんな洗面設備をするよりホワイトボードにする方がよほど合理的だと思うが。
 
後半からはプロジェクトワークショップと称する午後の選択科目のグループの連中とも名前を呼び合うことになり、これで大体講座全体の半分くらいの学生の顔と名前を憶えてしまう。
 
このプロジェクトワークはドイツ語力の横割りではなく、自分で任意のグループを選択するので雑多なレベルの者が同じグループになる。

科目により大体のドイツ語力の目安が示されていたが、実際はそんなに厳密な規定ではなかったようだ。
私が選択した「ドイツ音楽」はドイツ語レベルが一番下のクラスも受講できることになっていたのか、最下級のクラスの者の殆どがこれを選択していた。
必然的に私が(と、私の前の同級生クリスチーヌが)最上級生格になってしまった。

ま、そういうお粗末なレベルだったので(^^;
ドイツPOPSグループの曲を歌詞を読みながら聞いたりするのが中身だった。

期待していたようにベルリンフィルに関連するようなことは一切なく、私には全く面白くなかった。
しかし、なんだか午後からもいつも真面目に出席してしまった。
私はどこか無遅刻・無欠勤を自分の行動規範としているところがある。
そうしないと、自分が限りなく落ちていく気がするのか・・。
 
今回も教室では一番最初に来て、必ず最前列に座っているというパターンを押し通した。
なんだかいつもそうなってしまう。
プロジェクトワーク後半はみんなで歌を作るということになり、ギターを持ってきたケビン君をはじめ一大勢力のスペイン語圏の学生達とちょいと親しくなった。
 
実際に本日最終日の午前中の終了式兼プロジェクト発表会では全員でこの歌を歌ったわけだ。
もっとも、曲を作曲するには至らず、流行歌 "Aplaus,aplaus”の替え歌になった。

5人いる学生のチューターも常に何らかの形で受講生と連日接触があり、やはり全受講生と顔見知りになる。
特にマリウス君は私の担当で、先ほども今の宿舎に入居・撤退(たった今!)する時も車にスーツケース乗せて引っ越しを手伝ってくれた。
英・独・多少の仏語可。
それよりエネルギッシュないかにも若者らしい行動力で人気があった。

前回参加したフライブルグ大学の夏季講座では、自分のクラス以外とは殆ど面識がなかったのとはえらい違い。
フライブルグでは日本人だけでも100名規模で参加していたが、たまたま同クラスや同宿でなければもう殆ど知り合う機会もなかった。
フラ大の選択科目では当初初級者向けのLL教室を選択したが、あまりに低レベルだったので「ドイツ現代文化文学」に鞍替えした。
しかし後者は、大学の講義の雰囲気は味わえたのだが、私の語学力では殆ど歯が立たなかった。
最初に行ったLLでは選択者の大半が日本人の女子学生だったのだが(^^;
中に一人私と同じ名前の男子学生がいて、自分の席の前に立てておく手書き名札に私は「HEMI Nr.1」と書いた。もちろんHEMIはこの場合は私のネット上の自称。
この時の「Hemi第2号」君は顔見知りになったので後で少し喋る機会があった。
クラスは下だが、なかなかこの二号君は人気があり、皆がHemi,hemi!と囃し立てると流暢な英語でうまく収めていた。
今回の件のからみで思い出した(^^;
今回もまた「Hemi2号」が出現し、実体はベラルーシの気さくな女学生である。
今度はHemi(私の本名)が彼女のネット上の自称だった。
彼女とも親しい顔見知りになったので、最終のお別れパーティでも一緒にカメラに収まった。
 
この人数なので殆どが顔見知りで、お別れとなると愛着もあり、哀惜に近い感覚も覚えないでもない。

しかし、流石にお別れパーティで派手に騒ぐ若者達に最後まで付き合う予定でないので、チューター連中がそれとなく跡かたずけをはじめだした頃に抜けだしたわけだ。

午前中の終了式で渡された成績認定書では私はA2、前回のフライブルグ大学ではB1だったのに。
だからドイツ語は忘れる一方で、全く伸びなかった。
最後にカルロスと喋っていて思い出したが、英語なら私はTOEIC850点はあったハズ。
ユニクロ・楽天レベルならお仕事させていただける点数だろう。
 
初級の連中もドイツ語はだめなのだが、殆どが英語は楽にしゃべれるので仲間ウチでは気楽に英語でコミュニケートしていた。
私は楽な仏語にあまりに頼り過ぎ、すぐそちらに逃げてしまうので、多くのコミュニケーション機会を逃していたかもしれない。
ドイツ語は初級どまりでピリオドを打ち、仏語でなく英語を常用した方がやはりツブシが効く。
イヤだが、実用上はそうなってるのでしゃーないのだ。
次に機会があれば、その流儀で行こう。
 
しかし、そうなると最初に仏語で喋って相手を恐縮させ、おもむろに下手なドイツ語を拝聴させる、といういつもの手が使えないのだが(^^;
今回、ディリンゲンに行った時か、ホームで女性駅員さんに仏語で「事前に切符に印字しなくてもいいのか」と尋ねた。
何とか仏語で答えてくれ、最後に「すみません、私は仏語があまりうまくないので」と恐縮してくれた。
やはり、英語喋るより仏語の方が相手を恐縮させる効能が一ランク上の気がする。
 
と言うわけでドイツ語の方はさっぱり上達せず、それどころか退行していたのがはっきりしただけだが、学生生活と言う事では、まるで絵にかいたような「世界の仲間と一緒に学ぶサマースクール」とでもいう青くさい疑似青春体験をたっぷり味わったわけだ。
事実、今日Facebookで「一生この夏を忘れない」という投稿がウチのグループにアップされていた。
 
この朝も大学キャンパスに来てメールチェック、ワダさんに送金、ブログアップとかやってたが、この時間なのに見事に誰もいない。土曜日だ、当然だ。
 
木々の緑と建物を見ながら、まるでウソだったかのように誰もいなくなったキャンパスを眺めることになる。
 
・・・ And Then There Were None
(そして誰もいなくなった)
 
最後にバスに乗り、緑のキャンパスが遠ざかっていくのを見ていたら、すこし涙が出た。
 
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