[ザールラント通信] |
25 さらばザールブリュッケン、私の夏(3) |
2013/09/03
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(3) ドゥドバイラー
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↑ 町の入り口にある町名表示
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看板の横のオブジェ →
歯車のようだが、よくわからん。
*1 あまり調べる気もなかったのだが。
↓ 毎朝家から出て先ず見る町角。 |
パーティから一夜明けた金曜日。
本来なら木曜が終了式で金曜出発日(宿舎退去日)というプログラムだが、また(^^;私は勝手に金曜まで授業があり、土曜出発日と思い込んでしまっていて、そのつもりで日曜パリ発の飛行機を予約してしまっている。
前回のフライブルグ大学受講時には日曜登録で月曜から授業と早トチリしていた。
そんなワケはないよな。
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今回も良く考えれば土曜に事務所開いているわけないので、退去手続きは金曜のハズだ。
インターナショナル・オフイス(講座事務所)に相談に行くと別に厳密に金曜に発たなくともいいようだ。
ただし、借りた食器の返却やメンザカードの保証金変換等の事務処理は金曜中にしないと土曜日はオフィスが閉まってしまう。
宿舎の退去チエックは土曜にチューターの一人が訪問してくれる。宿舎の補償金50ユーロはその時。
− Alles Klar. OK.
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朝ゆっくり起き、いつもより遅めにバス停にいくと、マルクトプラッツで朝市をやっていた。
スーパーNETTOの品ぞろえは大したものではないが、朝市はなかなかの規模。
やはり地元では伝統的にスーパーではなく、このような露天市で買い出しをするのが通例なんだろう。
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ぶらぶら大学に行き昼までネット作業。
お昼にメンザで最後の残金までキレイに使ってしまう予定。
メンザカードの保証金は戻ってくるが、チャージした残金は戻らない。
なるべく残金がゼロになるように今週初めから調整していた。
昼から市内に行ってお土産でも買おうとおもっていたが、時間があるので一旦家に帰ろうと、バスを降りドゥドバイラーのチンケなマルクトプラッツのスーパー2軒を冷やかす。
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NETTOで土産用に酢漬けニシンを買い、初日に一度サングラスを買ったきりの雑貨スーパーに入る。
主に衣料品が主だが奥に広く、家電・食器の雑貨も多い。
簡単なLED卓上ライトも置いてあって、宿舎の机の照明に最適と思ったが、もう遅い。
初日にもう少し店内を確認しておけば良かった。
手土産用雑貨を少々とついでにHARIBOでも。
もう少し商店街を歩いてみる。
商店の開いている時間に歩いたことはなく、既に店も閉まっている夜(といっても夕方)の光景しか知らなかったが、昼間はそれなりの活気もある。
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←マルクトプラッツにある像。
下のプレートに由来がかいてあるのだが・・・・読めない(^^;
↓よく読むと・・むむ(−−;;
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ドイツ語でもフランス語でもないじゃないか。
もちろんラテン語でもない。
ゲルマン方言か? *2
町の入り口のオブジェにしろ、この像やプレートにしろ、ドゥドバイラーについて知ろうともしてなかったな。 少し反省。
このブロックの最後の装飾品店も開いていたのでついでに入る。
ここでも2点ちっこいアクセサリを仕入れ、これで土産は充分だろう(^^;。
何で土産なんか買わんといかん?とは思うが、まあ、8月も勤労を続けられている方へのせめてもの・・。
わざわざ市内に繰り出すこともない(^^;
ということで安心して一寝入し、夕方また散歩にいく。
ドゥドバイラーの町をゆっくり大回り。
← 近所で一番汚い家(追加)。
それでも工事中なので多分塗り替えるだろう。
← 私の滞在中に塗り替わった家。
きれいになった。
←ラートハウス外壁の飾りランプ。
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そうか、もうこれで最後なんだ。
そう思うと何か去りがたい思いが湧いてくる。
当初は散々悪口を言ったドゥドバイラーの町だが、今では少々愛着もあるのだ。
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相変わらずゴミの多い汚い町で、惚れ惚れとする何ものも全くないが、既に自分の町という気がしないでもない。
毎朝の通学路のバス停の歩道→
客もバスの運転手もタバコを吸って、そのまま歩道に捨てていく。
女性の喫煙者とそれから刺青した女性がやたら目につく。
↓私の居室の真向いの屋根裏からいつも外を見ているおバ(ア)さん。
実は外を見ていたのではなく、タバコを吸っていたのだった。
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以前に一夏過ごしたフライブルグは素晴らしい環境だったが、あまり愛着は感じなかった。
今年春先にストラスブールに滞在したとき、シュバルツバルトで週末を過し、フライブルグに少し立ち寄る機会があったが、以前に住んでいた地区に行くという気は毛頭なかった。
愛着という程のものは無く、最後の日にはただ単純に去っていただけだった。
あそこは大学が契約した自炊式のホテルで、やはり住居という感じではなかった。
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しかし、今このたいして美しくもない町に去りがたい愛着が湧き、できたらもう少し暮してみたいという思いがあるのはどうしてなのか?
ホテルや学生寮ではなく、一人で町中のアパートメントに住んでいたという確かな生活感があったからだろうか。
朝起きて学校に行き、夜帰ってきて寝るだけだったが、それでも町に住んでいるという確かな生活のリズムを感じていた。
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30年前にフランスの町の屋根裏部屋で暮していたように、わずか一カ月だが、ドイツの町で確実に普通の町の学生のように自炊して暮らしていたのだ。
この部屋で暮しながら冬はどうなるのかな、と何となくふと思った。
夏はヨーロッパでは、旅行に行ったり、外で過ごしたり、観光客であふれたりして非常に開放的になる。
しかし夏は例外的に特殊な時期で、それだけが普通の生活感ではない。
今でも留学生時代の暮しを思い返せば、外の凍てつく寒さと室内の暖房のどんよりとした空気の層、というような長い冬の光景をイメージする。
ある日通学のバスに乗っていたら、仲良しおバアちゃん4人組がにぎやかにしゃべりながら乗り込んできて、前の席に座った。
ドッドバイラーの出口あたりでバスがカーブする時、一人のおバアちゃんが連れにあれ見た?という顔で外を示す。
すると、全員が「ああ、Kirmes」と少し嬉しそうにうなずいている。私もつられて外を見ると町の外れに大きく「ドゥドバイラー・キルメス、8月23(金)から27(火)」という掲示がある。
後で調べると「教会開基祭、移動遊園地が来る」ちゅうことらしい。
つまりこの地では夏祭りのようなものだろう。
おバアちゃん連中が皆嬉しそうな顔になったのが印象的だった。
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ドゥドバイラーキルメス当日。
二日ほど前からバス停向かいの空地やマルクトプラッツで移動遊戯施設の準備をしていた。
私も土曜夜、家からぶらぶら歩いて見物に行ったが、週末は雨模様でそんなに人出もなくあまり気勢も上がってなかった。
まあ、いわばオクトーバーフェストのごくちゃちなドゥトバイラーバージョンというところ。
遊戯施設の一つだけがド派手に大音量で音楽をぶち鳴らしているのが返って侘しい気もした。私もカウンターでビールを一杯だけ立ち飲みし、ひと回りして退散。
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朝学校に行くのにアパートから出て最初に目にするいつもの光景。
ドゥドバイラーの生活。
歩いたり・バスの中から眺めたり、日常の小さな光景が重なり記憶の中を通り過ぎる。
歩いて隣町まではいったが、もう少し近隣の町を見て来てもよかった。
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市内中央駅からDB(国鉄)で10分でウチの界隈に帰ることができるのが分かり、最近は大学からバスで市内、駅からDBで帰宅というコースもできた。
土地勘や暮らしのノウハウが始動し始め、生活が始まったところだったのだ。
しかし学校もドットバイラーもこれで最後と二・三度頭の中で反芻する。
突然、哀惜の念がこみあげる。
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さらば、わが町ドゥドバイラー。
さらば、もう一つ別の私の人生。
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*1 石炭製鉄所の記念物
*2 ”De Monn mit da long Stong”
ドゥドバイラー方言
=Der Mann mit dem langen Stock
(街灯火付け棒を持った男)
wikipedia (Deutch) より
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