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[ザールラント通信]

28 そして再び、こてこての日常へと 

2013/09/10
9月2日(月) 
E−チケットやオンライン・チェックイン等一連のFinairのコスト削減策は機内食を見ても明らかである。
 
ヘルシンキ − 大阪 は北回り航路としてはヨーロッパ最短距離で飛行時間9時間。
この間、夕方乗り込んで2時間後食事No1、大阪着2時間前食事No2。 そんだけ・・
いずれも朝食程度の簡単なもの。
だが、食間5時間だからそんなに腹が減るわけでもない。
 
パリ - ヘルシンキ 2時間のヨーロッパ路線ではビールも有料(4ユーロ)だった。
 
ヘルシンキでのトランジットは飛行時間から言うとかなり楽。
Finair は悪くないよ。
 
しかし、この短い飛行時間で、しかも私の常として通路側指定で頻繁に用を足しにいき、あるいは用もないのに後部キャビンに体操に行き、ついでに密かに作っておいてあるおつまみセットをつまみ食いし、かなり動いているのにもかかわらず・・・腰が痛い。
少し右腰を痛めていたのがどうやら持病に昇格したようで、同じ姿勢を続けるとヒリヒリしてくる。
 
後部キャビンに貼ってあった乗務員の作業マニュアル →
 
 
2年前のフライブルグ大夏季講座では毎日ご近所をジョギングしていたのだが、今回はエアロビクスやっただけ。
これは日頃通っているスポーツクラブでのメニューに正確に呼応しているという結果になった。
 
ランニングマシーンで膝をすり減らしてしまい、昨年から走るメニューは中止してエアロビクスクラスだけにしている。
水泳は何とか続けているが、今回のザールブリュッケンでは雨の為プールに行く予定がつぶれてしまった。
ドゥドバイラーの屋外プールは下見までしてきたのに。 →
 
2年の間隔で体力の衰えはないと確信できた。
しかし、細かい障害が増えてきた。
 
膝と腰。←これは直接学生生活の支障にはならないのだが。
 
問題は視力か。
以前は近視眼鏡を持参していたのだが、今回は遂に老眼鏡が必須になってしまっていた。
もともと黒板の字は遠くからでは裸眼で見えないので教室では一番最前列に座るようにしていたのだ。
だから近視鏡のお世話にはならなかったが、教室で配布される問題のコピーが小さくてもう判読不能。
それも持参のダイソー100円老眼鏡で何とかでカバーできた。
 
← この方は教授ではなく、同級生フランチェスコ(伊)。
年齢では全学を通じ、私の次のNo.2だった。
年長者のよしみでよく隣の席になったが、眼鏡は近視鏡。
最後の日、学食で会った。
家族(夫人・息子)と一緒に食べていた。
 
やはり、舌の回転とか記憶力、文章変形能力のようなものになると、この確実な老化鈍化経年劣化が如実に学業に反映してしまう。
もともと喋るのは得意だったのだが、最近自分でもあまりクリアに呂律が回っていないのを自覚する。
 
もともと聞き取りがあまりできなかったのだが、ひょっとすると高周波が多いドイツ語の子音がもう聞こえてないんではないか?と思ったりする。
 
そんなに複雑な文ではないハズなのに私に判別できない文をクラスの連中が理解できているのを目撃したとき、ドイツ語レベルをワンランク落とし自発的に初級クラスに逆戻りするほかなかったのだ。
私はクラスでも発言が多い方だっただけに、後で最初のクラスの連中に何でや?と良く訊かれた。
 
記憶力とかは人並み外れた努力で何とかできるだろうが(←あくまで定型文で実際ではありません)、舌の回転力や子音判別力なんかはもうどうしょうもない。
 
「もう歳やから・・・」となんでもかんでも年齢のせいにするのは自分への甘えが先行するような気がする。
しかし自分の経年劣化部分を正確に認識し、そちらを補強する工夫はすべきだろう。
次回も参加するならダイソー100円眼鏡の他、ハハオヤの高周波域補強用補聴器をパクっていってやろう。

関西国際空港着朝8時。
 
改めて関空ビルがたった一棟で、非常にわかりやすい動線になっていると思う。
 
ヘルシンキ空港のシェンゲンエリアへのコントロール窓口が3,4しかなく、そこに群衆が群がっている印象があったが、関空の入管コントロールは横一列にずらりと並び整然とした印象。
 
全体に均一な蛍光灯の明るい照明で見通しもいい。
しかし一種事務的な無機質さも感じる。
 
別にそのままリムジンバスに積み込んでもよかったが、雨模様だったので一階南端の空港宅配サービスでスーツケースを預ける。(←もちろん私は無料^^)
「本日夜配送でいいですか?」と。
なんと便利になったことか。
もう家までガラガラとスーツケースを引っ張っていくこともないわけだ。
せっかくの新調したサムソナイトなんだがなぁ(^^;
 
少しリムジンの時間待ちしていた3階からのエレベーターで手ぶらの外国人夫妻と大荷物をカートで運んでいる学生2名と一緒になった。
”Proffessor S・・・・”と記した歓迎用プレートを持っていた。
夫人が少しにこにことして同じ箱内にいた私に会釈。
 
外のリムジン乗り場で教授は髪を後ろに束ね、芸術家風モックを着てゆっくり大股で歩き、夫人がそれに続き、学生2名がふうふういいながら後ろで荷物を運んでいる。
蛍池行か。 阪大の招聘教授だろう。
 
私も学園前行のリムジンに乗る。
近代的で機能的にすっきりした関空から、いきなり窓外に展開する雨模様の大阪南の海岸沿いの雑然とした家並みを眺める。
来日した教授夫妻は初めてのこの日本の光景をどのように見ているのかと考えてしまった。
 
外国人の目で大阪泉南の安っぽい工業地帯や密集住宅の光景を見る。
 
 
   ・・・・・・・
 
大阪南のどうしようもないこの雑獏ぶりは実に面白いではないか。
 
フェルクリンゲンを見た、あるいは吸殻、ゴミでいっぱいのドゥドバイラーで暮らしていたからか?
全く計画性が感じられない自然発生的な雑然としてエネルギーに満ちた光景。
フェルクリンゲン製錬所のような、美的な設計などどこにもないが、全体から凄まじい生命力のほとぼりさえ感じられる。 
 
 
 
外国を見て初めて自分の国を客観的に見る視点ができる。
以前四年ぶりに帰国した時、大阪の町の空を蜘蛛の巣のように覆っている空中架線の異様さを実感した。
大阪下町で暮らしているとこの異様さが見えていなかったのだった。
 
しかし、今回は初めて無計画に所狭しとひしめく家並み、放置されたガラクタの集積のような大阪の下町のコテコテの雑然さが新鮮で面白いと思えたのである。
 
釜ヶ崎と異名される大阪下町への嫌悪が未だに私の目をヨーロッパに向けさせていたのだったのだが。

またもう一つ別の視点をザールブリュッケンは新たに私に付け加えたようだ。
(ザールラント通信 完)
27 オンラインチェックイン... blog upload: 2013/9/10(火) 午前 3:43(Initial page)