ヨーロッパ議会に行く.. プールに行く..
[ストラスブール通信1]

    ヨーロッパ議会で青山光子を思い出す

2008/2/5(火) 午後 9:42

ということで、それなりに楽しく見学は終了したのだが、ヨーロッパ議会で会った職員のオジさんの話を書いておく。

私が日本人だというと、「一人の日本人を知っている。

北海道の「○○・ユミ」という」とくる。
昔なら、ここで「日本に帰ったらユミによろしく言っといてくれ」と言われてうんざりするのだが(^^)
今はさすがにそういうことはない。

「彼女は、今はユミ・△△と名乗っている」ときた。
このオジさんの胸の職員証の名も△△ではないか!

--- えっ!ではあなたの奥さんが?
--- いやいや、私の息子だよ。この12月21日に結婚した。
--- あ、それはどうもおめでとうございます!

でこのオジさん、息子とヨメの自慢をし始め、写真を持ってくるから待て、という。

おいおい、勤務中なんではないの?
まあ、いいか。どのみちまだ予定の人数そろってないし。

しばらくすると本当にこの人は自分の事務室から黄色い写真挟みを持ってきた。
なんと、恩令息夫婦の結婚写真なのだ。
いやぁ、なんというか(^^)
この国際結婚は地元の新聞DNAの記事にもなっていて、切り抜きも見せていただいた。

それから息子夫婦のなり染めや、新婦がビザを取得するのに日本にとんぼ返りせねばならなかった、とか、息子夫婦の結婚の逸話がつづくのである。

-- 小さなきっかけから運命が開いていく。
-- われわれは大きな愛(Grand A)によって導かれるのだ。云々。

私はEC加盟国出身ではないが、ヨーロッパ議会を見学に来て、そこの職員サンに日本女性の純日本風結婚写真見せていただくとは思いもしなかった。
このオジさんの手放しで異国のヨメを礼賛する人柄や、話に聞く新婦のご両親の国際結婚へのあたたかい目が感じられ、楽しく話に興じた。




ヨーロッパ共同体の職員サンなら、国家の枠を超えた結婚くらい障害でもなんでもないのかな、と思ったとき、青山光子の事を思い出した。

明治時代の東京・青山の商家の娘、青山光子は、たまたま店の前で怪我をしていたオーストリーの貴族で外交官のクーデンホーフ・カレルギー伯を介抱する。
それがきっかけとなり伯に見初められ、終に渡欧しカレルギー伯家のヨメとなり、やがて伯爵が死去した後もカレルギー伯家を守り、息子達を育てる。

この光子の混血の息子の一人が、今日「ヨーロッパ共同体の父」と呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー*である。
この人が現在のヨーロッパ共同体を構想し、実現に奔走したのである。

明治の日本女性でヨーロッパに嫁いできた青山光子は、このヨーロッパ議会の母体、ヨーロッパ共同体の「父」の「母」(笑)というわけだ。

ちなみに映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガードが脱出に手を貸す政治亡命者のモデルもこの人、リヒャルトである。

北海道のユミさんが、ヨーロッパ議会職員のオジさんの息子さんに見初められ、結婚してフランス生活を今年から始められたと聞くと、どこかこの青山光子と二重写しになるのは自然な連想だろう。

というわけで意外と楽しめたヨーロッパ議会見学だった。



トラムのチケットをケチり、歩いて大学図書館近辺まで帰ったのだが、 よく道筋を見るとEU加盟各国の旗がふとした家から突き出ている。








各国の外交出先機関が間借りしているのだ。





大学宮からヨーロッパ議会までのアベニューはさしずめ東京港区赤坂といった趣か。

最後にあるのはロシア領事館。


ところで日本総領事館もストラスブールにある。
しかし、この外交官通りではない。
住所を見ると、Les Halles。
いつも私が食料の買出しをするスーパーがあるショッピングセンター内。
いかにも日本らしい立地、というか(^^;

昔、オランダの領事館をたずねて行ったクラスメートが「ハイネケンの会社の敷地の中」だった、と憤慨していたのを思い出した。今はどうだろう?
次の見学予定は、そのハイネケンである。

*注釈)この記事を書いたとき、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーを
        リヒャルト・シューマンと名前を混同してました。
        これはフランスの外相でヨーロッパ石炭同盟を提唱した
    ロベール・シューマン (音楽家とは別人)が「ヨーロッパ評議会
    の父」と言われていて、どこかで記憶が混線した結果です。
    というわけで↓下のコメントになっていたのですが、
    お騒がせしてもうしわけない。
    
(後日訂正)
*注釈2)当HPバージョンではブログバージョンのコメントはすべて省略してます。

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