私がボーヌに来たのは、何もワインを飲んだくれるためではない。
Hospices de Beaune "Hotel-Dieu" を見学するためである。
「神の館」ボーヌホスピスであるが、ボーヌ施療院と記しておく。
これは私にボーヌへのこだわりを仕掛けた一冊の本「ボーヌで死ぬということ」(1996 みすず書房)の著者田辺保の訳だ。
確かに、ここでは治療もしていて退院する貧民もいたのである。

ボーヌ施療院中庭 モザイク模様の屋根が特徴的

病に冒された貧民を収容し、治療し、死ぬまで面倒を見る施設だ。
これがブルゴーニュ公国の中世1443年に設立されている。
フランス王家と張り合う強大な権力を持つ、この公国のフィリップ善玉王(Philippe le Bon)のシャンセリエ(宰相)ニコラ・ロランが作った。
正にキリスト教のチャリティをそのまま地上に具象したものと言える。
先のワイン・カーブのお兄さんによれば、そのチャリティの精神は今でも衰えず、ボーヌの施療院には世界中から寄金が集まって来ているという。
建物の一部は現在保存工事中だが、この資金もそういう寄金から出ているらしい。

(施療室内部)
カテドラルの内部のような天井の高い空間の両側には15ずつのコンパートメントが並び、それぞれに付き添い用のイスとテーブルが設備されている。
現代日本の病院の保険点数内の大部屋ではない。完全に個人が独立して、他の貧者は見えない構造になっている。
・・・おそらく「神」とだけ向い会って死を迎えるための設計だろう。
このブルゴーニュ公国のことを考えると、いつもジャンヌダルクという訳のわからぬ現象のことを思い出してしまう。
イギリスと戦っていたジャンヌをブルゴーニュ公が逮捕し、イギリスに引き渡している。
封建領主の権謀術数が渦巻き、策略と政略とで世俗の金権が争われていたのは確かなことだ。
そして100年戦争ともいう果てしない戦乱。
ブルゴーニュという響きは豊穣と死が常に隣り合っていた時代を思わせる。
「中世の秋」(J.ホイジンガ)である。

施療院所蔵の祭壇画(Retable)
グルーネワルトのイーゼンハイム祭壇画との類似は明白だ。
受難のキリストの脇に描かれるのは聖セバスチアンと聖アントニウス。
いづれも迫害と死と恐怖を体現した聖人達。
贅沢を極めた王侯貴族も実は貧民と「死」という絆でつながっていた。
もしかして現今の富貴を極めれば極めるほど死の無情を考えざるを得なかったのではないか?
中世のキリスト教美術がいかに「死」のテーマにおいて豊穣であったのかを、この日の午後、ディジョンでもう一度確認することになる。
ワイン屋のお兄さんはカーブの贅沢な暗闇で、ボーヌの中近世にあったチャリティの精神の伝統を誇るのだが。
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私はしかし、この貧者の死を見取る施設は、もっと切実なきびしい心理が建築させたのではないかと思っている。
多くの死や悲惨の上にブルゴーニュの栄華は築かれていたのである。
贖罪という?
いや、他人を救う、善行を行うということで自分の罪を免れようとしたのではなかろう。
贅を知る者は、それだけ多く、自分もまた死から免れることがないと知っていたのだ。
この世の富は死によって裏付けられ、この世の栄華のツケは死で支払う以外にないのである。
中世ブルゴーニュは栄華と死臭に満ちていて、貧者も富者も死の前には平等だった。
この死の平等という意識がシャンセリエ・ロランに自分も貧者と同じ人間であるという意識を持たせたのではないだろうか。
それが今日的な人間の平等という観念に表面は似ている。
しかしそれは違う。
ともに生きようとする平等ではない。
あくまで死の前での平等である。
ロランは中世の人なのだ。

中世の風景(ディジョン美術館蔵) 人は死と隣り合って暮らしていた。
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