ディジョンのブルゴーニュ大公宮殿の建物は左側が市役所、右が美術館になっている。
美術館に入ろうとすると、なんと Musee des Baux arts [gratuit] とある。
しめた。
「美術館 入場無料」
ディジョン美術館は半分ほど工事中なので、今は入場無料なのか。
しかし無料とは言え、堂々たるコレクションである。
中世から近世にいたるヨーロッパの宗教画やブルゴーニュ公国大公の墓の壮麗な意匠が展示され、ブルゴーニュ公国という歴史の一時点に収集されたものが多いのでコレクションが中世美術に集中し、色合いが揃っていて見ごたえがあった。
(これは今日行ったリヨン美術館のかなり拡散した印象とは対極にあると思える。)
私にはコルマールのイーゼンハイムの祭壇画から受けた中世的感性の影響がまだ残っていて、そのスキを狙ってブルゴーニュの「中世の秋」が割り込んでくる。
ボーヌの施療院で「豊饒と死」のテーマにも捉えられていたこともあり、これから紹介する私の選択は少々アブナいものになっている。(^^;
風景の中にある圧倒的な自然の寂しさと宗教画にある狂信的な一途な精神。
その中におびただしく死のテーマが散見される。

生誕よりも受難と死が本当に画家が惹かれるテーマだった。
そこら中に死臭がただよっていた中世。
聖セバスチャンや聖アントニウスの残虐と異世界への倒錯した憧れ。

抑圧され 倒錯した性。
現在の私たちが映画館で「死」を喜んで見ているように、中性の人達は教会に行って「死」を見物した。
「死」は娯楽でもあったのだ。
メメント・モリ。
これは「虚栄」(Vanité)というテーマのジャンル。

どんなエラそうな顔していても、死ねば私と同じ、ただのしゃれこうべではないか・・・
中世ブルゴーニュ。
豊穣と世俗の富と貧困と死。
あまり言葉を書き連ねてもイミはない。
しかし、このメメント・モリ
(ラテン語のつづり忘れた)
つまり Remember the death
「人はいつか死ぬ」。
このことが中世人の基本的な人生感だったということを書いておきたい。
死はどくろの姿で表現されている。
この美術館では見つからなかったが「死の舞踏」というテーマも中世にはある。
骸骨踊りである。
墓場から骸骨が立ち上がり、踊り出す光景。
このテーマは、グロテスクだが私には中世人の哄笑が聞こえる。
完全に狂ったビジョンだが、どこかユーモラスだ。
この骸骨踊りのテーマは近代・現代でも健在で、ことごとくユーモラスな表現になってしまっている。
特撮映画の草分け「アルゴ探検隊」では、土の中から髑髏の兵隊が立ち上がり、イアソンを襲ってくる。実に不気味な登場だが、実際に戦うと、コレがとてつもなく弱いのだ。ちょっと剣が当るとカシャカシャとつぶれてしまう。
サンサーンスの動物の謝肉祭では化石のような音で骸骨が踊っていた。
ショスタコビッチの最後の交響曲である第15番では、この世の茶番(スターリン批判・冷戦等)を全て斜めにかまえてやり過ごしてきたこの作曲家が、自分の最後の白鳥の歌としての骸骨踊りを披露している。もともと、この人は茶化すのが得意だった。
このショスタコビッチの15番の最後の「ちゃかぽこ」が中世のメメント・モリの骸骨踊りであるのは明白だが、このことをまともに指摘している文献はまだ無い。
と、こんなところで言っても誰もまともに読んではくれてないのだが(ははは)。
この生きても死んでもただ意味も無く騒いでいるだけ、という中世の諦観と哄笑は日本の中世にもあったのだ。
「この世は夢よ、ただ狂え」 (中世の今様)
最後に今日リヨンの美術館で見つけたピカソの作品を紹介する。
タイトルはやはり「虚栄」。

上の中世の作品と比べてください。
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