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[ストラスブール通信1]

(番外7) パリに行く (1)

2008/2/15(金) 午前 8:20

何故か先ずサクレ・ケール寺院(^^)

思わずニコニコの世界のお上りサンに合流し、こちらもニコニコ。
そうなのだ。
あまりにまともな観光名所なので2回も来る人はいないだろう。

パリのどこからでも見えることでもあるし。

しかし、思わずニコニコである。
観光気分がそこら中に蔓延し、うきうきしてしまうのだ。

実は今回の宿がサクレ・ケールの丘の中腹辺りにあったのである。

インターネットで調べ、値段だけで決めたホテルである。
実際に行ってみて分かったが、あのややこしいピガール広場からムーランルージュにかけてのポルノショップ街の裏町。

あまり行きたくはなかった場所だが、値段がそれなりだった(^^;

サクレケールは宗教・歴史的には別に大した由緒はない。
だから行くのはお上りさんだけということになるのだが。

しかし、丘の麓からきれいに晴れ渡った空に、よく映えるくっきりとした典雅なたたづまいを見ていると、そんな不遜なせりふを吐けなくなる。

別に私も世界のお上りサンもパリの景色だけを見に来たのではない。
モンマルトルの丘のサクレ・クール寺院。←何故か、ここだけ伝統的呼称

その前に自分が立っている。
それは昔から世界中の人々が憧れに満ちて心に摺り込んできた地名で、当方も子供の頃から折にふれ聞かされてきた。

人は地理的パリにやってくるのではなく、文化的・歴史的パリにやってくる。

パリは世界を文化的に刺激しつづけ、我々の先人達の憧れをかき立ててきた特別な場所である。

(オスマン通りのホテルアンバサダー!)

ここだった! 
団体旅行で初めて行ったヨーロッパで最初に泊まったホテルは。
(L'Opera de PARIS)


だからパリはフランス人が作ったわけではない。

我々外国人が西欧文化の中心地として憧れ、崇拝さえもしてきた思いの重なりが現在のパリを作っている。

昨日引用した清岡卓行の著を待つまでもなく、私も森有正、掘田善衛(結局スペインで客死するが)、辻邦生らに導かれて渡仏したのだ。

日本から出たことのない萩原朔太郎でさえ

    「フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりに遠し・・」

とうたい、その思いを言語都市パリに足しこんでいる。・・・


いま、コンコルド広場、シャンゼリゼに通じる、ちょっとした公園のベンチに座って書いている。
すぐ10メートルも歩き、シャンゼリゼ通りに出れば凱旋門が見えるだろう。

だが、急ぐ必要はどこにもない。
ここからナポレオンがエジプトから持ってきたオベリスクも、ルーブルの前庭の柵も、エッフェル塔も見えている。

こうしてパリの中心のベンチに座り、パリを考えている。

なんという贅沢な時間なのか・・・


できることなら、外国に憧れ、パリに憧れ、しかし関西から出ることもなく一生を終わってしまった、私の母の目で、今この瞬間のパリを見たいものである。
「今、パリのコンコルド広場にいるんだ」と、自分に言い聞かせている昂揚した母の目で・・・


まてよ?
確かアノ人、パリじゃなくて「スイスに行きたい」って言ってたんだっけ?

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