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[ストラスブール通信1]

(番外8) パリに行く (2)

2008/2/15(金) 午前 8:32

いやあ、今凱旋門に登ってきましたぁ!わはは。
やればできるのだ。うん。


サクレケールやコンコルド広場で、初めてパリにやってきた世界のお上りさんに会った。
私も30年前にはあのように、おっかなびっくりでパリを歩いたのだ。

時が経った。
フランスに住んでいた時期には絵葉書のような観光地に群がることを避けたい気分もあった。

しかし、今パリに来、初々しい若者達や、団体さんの好奇心ではちきれる気分に私は感染した。
スポーツ選手風に言えば「みんなの気分が私を後押ししてくれた」(^^)

なるほど、パリは海外旅行初心者の聖地ではあったのだが、外国の町は何だか良く分からんので、一人歩くには不安で心細くもあった。

しかし今は違う。
もう私は好奇心と不安に満ちた若者ではない。
自由業に移行し、基本的にはヒマな人生の季節に入ったのだ。
コトバも多少喋れる。

第二の海外旅行適齢期に入ったのである。

昔は、やはりちょっと気恥ずかしくてできなかった「世界のお上りさん」。
今はできるぞ。
むはは。

ついでに言えば、シャンゼリゼの、それも凱旋門に一番近いカフェ・ベスヴィオでコレ書いているのだ。

シャンゼリゼのカフェのテラスに座ったことも今までなかった。
カルティエの本店の隣あたりね。
あまりにお上りさん風でもあり、何だか高そうなので今まで遠慮してた。

でも、これからはやるぞ。
どだ、私もめでたく世界のお上りさんだい!

これですねぇ。
"ちょっとシャンゼリゼのカフェのテラスでコーヒーをいただく。"
思わずこぼれる無垢な笑み。(^^;

凱旋門は入場料を支払い、その下に立たないと大きさはわからない。

コンコルド広場からシャンゼリゼに入り、歩きながら前方の並木の陰に見えてくる凱旋門への期待と高揚がある。

しかし、実際にシャンゼリゼの賑わいに紛れこんでしまうと、凱旋門はくっきりみえるが、もう焦点に収束する遠近法の視覚的効果はなく、なんだか小さくなったように見えるのである。



しかし、入場料9ユーロを払って凱旋門の真下のロータリーの中に入り見上げるとやはりでかい。


凱旋門の上に登る。

シャンゼリゼを初めとするアベニューやブルーバールが放射状にどこまでも伸び、デファンスの空中回廊やエッフェル塔、サクレケールが一望できる。
うれしいな。(笑)

凱旋門に登るのは初めてだ。
実はこれは懸案でもあったのだが。

25年程前に全てを捨てて日本脱出を決意したとき、景気づけに当時ロードショーで上映されていたフランス映画を一本見に行った。

クロード・ルロチの「Les uns et les autres」。
日本語のタイトルはたしか「愛と哀しみのボレロ」だったか。

元題を私訳すれば「それぞれの人生」。
いろんな人の戦争を挟んだ人生の変転を描き、最後に全ての登場人物がユネスコの主催する慈善コンサートに集まる。

ここでコンサートの焦点となるのが、今年死んだモーリス・ベジャールをモデルにした踊り手が踊るラベルのボレロ。
この舞台がなんと凱旋門の上だったんですね。

私はこの映画を見、パリという都会が有名・無名のそれぞれの人生を包み込み、示し、考えさせる場所として描かれていることに感銘を受けた。

モーリス・ベジャールやヘルベルト・フォン・カラヤン、フランシス・レイ達もいる。
戦争から帰ってきた名も無い若者達もいる。

パリは正にそれぞれの人生が積み重なって作り上げた共同幻想都市なのである。

迷っていたが、それまで語学を勉強してたドイツではなく、私はフランスに行くと決めた。
それでいいのだ、と思えた。

そしてフランス・ストラスブールから私の人生の後半が始まった。
決して楽なことではなかったが、とにかく一応耐えぬいた・・・

だから、凱旋門に上がることには自分の人生のひとつの決着を確認する意味があった。
凱旋門の上から、私が自分であることを開始した時を、逆に眺めることができるのだ。

    ...Les uns et les autres.



私にもそれなりの人生の時が経過し、凱旋門を眺めながらシャンゼリゼのカフェでそれなりの回想にふける時間をやっと得たのである。

で、結局コーヒー大4.5+ハイネケン4.6+チップで10ユーロ。
パリではそんなもんか。


・・・でで、夕食は宿の近所のベトナム系惣菜屋の6.5ユーロ定食にして帳尻は合わせましたので。


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