ストラスブール逍遥補遺 イスタンブールへの長い道(2)
[ストラスブール通信シーズン2]

イスタンブールへの長い道(1)

2013/03/15
帰国し、NHK BSでさわりだけやっているフランス2のニュースを見ると、今週からヨーロッパは大雪、航空便も大半キャンセルだそう。 間一髪の脱出だったようだ。
しかし、雪で飛行便がキャンセルになった方が面白かったかも、という気もしないでもない。
そしたら確実にこの日常ではなく、別の日常に帰っていただろう。
 
トルコのアンちゃん風だが、
まだトルコではない→
カフェ・ブラントの自写像。
 
帰ってくれば、この間の不在のつじつまを合わせねばないし、確定申告書もでっちあげて提出しなければならない。
確定申告は帰国後3日でカタつけるという予定だったのだ。
 
私は当アパートの管理組合理事長兼自治会長なので、処理しとかねばならない公式郵便が溜まっている。
もちろん、出発前には副会長サンに不在時の処理を打ち合わせてあるので穴はあけてはいないのだが、それでもさっそく処理せねばならない書類が溜まっている。
本日やっと確定申告書を奈良税務署に提出できたので、これでブログも再開できそうだが。
 
確定申告はもちろん私の取るに足らない年金のではない。
ハハオヤの病気の医療費関連領収書、ヨメのビョーキの株屋・不動産屋関連書類の整理とつじつま合わせ。
実にばかばかしい雑事だが、情けないことにこの類は私の仕事ということになっている。
 
私は別に年金でヒマそうに遊んで暮らしているだけ、というわけではない。
個人として日常生活のルーチンワークをしている以上、なんらかの仕事は常にある。
生活の基盤を維持するためには、常に何かしら働いてメンテナンスしていかねばならない。
量や質は全く違うのだが、サラリーマンでも年金生活者でも、あるいは学生だとしてもそれは同じ。
 
ストラスブールで学生をする、ということは、ちょっと別の人生で生きてみる、ということだ。
 
→チョコクロワッサン0・8ユーロ、
カフェ・オーレ0.4ユーロの
朝食を食いながら
宿題をかたずける。
 
 
もう一つ書いとくと、ウチはですね、留守中はヨメが何かと私の便宜を図ってくれる、というような甘い男権家庭ではございませんので。
 
旅行中に定例銀行振り込み手続の不備があり、銀行との国際電話コンタクトで手こずったことをちらりと書いたが、ヨメが日本で私の代りに何らかの処置をしてくれる、というようなことは一切ございません。
 
私は私が自分でしなければないことをするだけだし、ヨメは夫が居ない間も自分の生活をしているだけである。
私宛郵便物の処理くらいしてくれてもよかろうと思うのだが、「一ヶ月の不在に付き一度、今回は一ヶ月未満なので無し」とのこと。
 
フランスに行ってます、というと「自由でうらやましい」と、どなたかに返されたこともあった。
 
しかし、私は別にとりわけ好きな時に好きなことをやり気楽に生きているだけ、というわけではない。
ブログには詳しくは書かないが、今回も日常では遭遇しない、様ざまな困難や心理ストレスを盛り沢山味わっている。
決してそんなに気楽なもんでもない。
旅行を決めたときからすでにそれは始まっているのだ。
外国に行くんだから当然だ。
 
日常でも物忘れのひどさに我ながらイヤになるのだが、今回も特にスマートフォン・サイフ・切符・書類の類を無くさないように常に自分にプレッシャーをかけ続けていた。
それでも忘れる時は忘れる(^^; 
スキー帽ザンクト・ペーター村のピザ屋で忘れたよぉ。
 
だから今回、特に自分で唱えた自己管理呪文はこう:
 
   『何事が起ころうと絶対パニックに陥らないこと
 
サイフを掏られようが、スマートフォンを落とそうが、飛行機がハイジャックされようが・・・
 
嘗てストラスブールで学生をすると決意した時、私は日本の全てを捨てて行った経験がある。
会社・家族・持ち家・貯金・将来の展望、帰る国と場所、等等。
私は既にそういうものを属性に持っていた年齢だったのだ。
しかし一切を捨て切らねば、新生はない。
 
私がとりわけ気楽な身分であったわけではない。
「自由でうらやましい」という人は多分、捨てられないものを沢山お持ちなんだろう、と思う。
別に私は好んで捨てたわけではない。捨てられないものがあることはうらやましい。
 
こと外国行きに関しては、特に「自分」を捨てることが出来ないとダメだろう。 
自分の生活とか地位、メンツ、それに自尊心ですかね。
向こうはあなたが誰だか全くかまっちゃくれないわけだから。
まあ、お金があれば一応見かけだけは自尊心を傷つけられずには済むものかも知れないが。見かけだけは。
 
捨てられれば何時でも自由。
 
まだ? イスタンブールは?
 
まだ
3.9朝のストラスブール駅→
 
 
 
 
← フランス国鉄(SNCF)ちゅうかTER ALSACE のサン・ルイ駅から、バーゼル空港までのシャトルバス、2ユーロ。
 
バーゼル・ミュールーズ空港もまったく国際空港風ではなく、まったくの地方空港規模。
あまりにも人がいないので、返って動線がわからず、少しあちこちさまようハメになる。
 
昔、どういう手続きを通過していっているのか意味もわからず、ただ前の列について国際空港の迷路を進み、何とか乗る飛行機にたどり着いて一安心、という気がしたのを思い出した。
 
最近、テロ対策でやたらと関門が増え、一体誰が何の検問をしているのかわからん人も多いのではないか?
少なくとも入(出)国管理と税関検査だけ、ということはありえない。
帰りのイスタンブール空港では、すでに空港に入るのにも関門があった。
チェックイン前だから、航空会社のカウンターに預ける荷物まで検査されてしまう。普通それはない。
 
バーゼル空港SKYVIEWラウンジの入り口↓
バーゼル空港でさ迷ったのは、空港ラウンジでお昼を済まそうという魂胆からである。
関西空港のKALビジネスラウンジは出国ゲートの外にある。
パスポートコントロールを通過してしまっては、利用できないことになる。
 
バーゼル空港でも外にはないと一応確認し、出国ゲートを通過した。
とにかく人がいないので、長い通路を一人で歩いていると全く関係のないゲートに向かって歩いているのではないか、と不安になったりする。
 
売店の横にある従業員通用口みたいな入り口だったが、入って驚く豪華ゼイタク仕様。
カウンターの向こうに人造池があり、橋まで架かっている。
「ありがとうございました。食事や飲み物は上の階にありますので。」とにこやかな受付嬢。
ケチな室内ラウンジではなく、なんと空港の建物の最上階ワンフロアを占拠する一大施設だった。
 
ガラス張りのエレベータで上階に行くと、空港を見渡す窓際に外向きのリクライニングソファーがずらりと並んでいる。
足乗せオットマンチェアーも付属して、数人しかいない客は飲み物なぞ片手にふんぞり寝そべっている。
 
おっと、オットマンというのはもちろんオスマン・トルコの英語なまり読みだからね。
 
なんちゅうゴーカな!
まあ、私なんぞあまり豪華高級なところでは「小僧の神様」状態になるので、苦手なのだが、とにかく人がいないのでここは気楽。
写真だって遠慮なくバチバチとっちゃってるもんね。
 
もちろん、こんなビジネスクラスラウンジに私の経済的実力では元より入れるワケはない。
私は、しかしどういうわけか、れっきとした正規メンバーとして使用しているのである。
 
ここにある種の不正な手段、トリックが存在するのだが、これは個人的ノウハウで公開はできない。悪しからず。
本来社会正義の感覚が強い私は、一切の不正を憎むものではあるが、強者の余剰を弱者が智恵をしぼって掠め取るような不正は、大好きです(^^;
 
ビール・ワイン・ウィスキー飲み放題のスープ、料理・パン食べ放題(^^)/。
しかしまあ、朝も食ってきたしそんなには頑張れませんぜ。
食い放題の豊富さではクアラルンプールのマレーシア航空ビジネスラウンジがすごかったのだが。
 
今回もイスタンブール空港5時間のトランジットはラウンジの使用権がなければ、かなりつらかっただろう。
あそこ、国際空港のワリには免税店の規模が小さく、すぐ退屈する。
そのくせ人は多く雑踏の中で落ち着かない。
 
で、イスタンブール、まだかい?
 
まだ。
→トルコ航空バーゼル-イスタンブール便内。
私の隣人、イラク人のおっさん。
横のトルコ人となんとか
フランス語で喋っていた。
 
私はそんな隣人のヒマ話に興味はなく、じっと下界を過ぎていくヨーロッパアルプスに見入っていた。
3時間のフライトならトイレに行くこともない。
5時間以上なら必ず通路側にするのだが。
 
やはり飛行機で下界を覘くのは実に楽しい。
←チューリッヒの近く。
 
高度一万メートルからでも、かすかに一つの集落が確認できた。
自然の中に人が住んでいる形が見える。
こんな山中にも村はあるんだなぁ、とどこかで感心する。
 
 
 
 
 
↓次第に暮れていく西ヨーロッパ上空。
西日が奇妙に反射し、不思議な輝きを放つ雲。
 
往路の飛行は全て夜間で、おまけに曇天だったので何も見えなかった。
しかし、どこかの大都市の上空で下からの街明かりで雲全体がぼやーっとオレンジ色に光っている光景を目撃した。
もちろん写真撮ったが、やはり明るさが足りず真っ黒なだけだった。
 
暗闇に目を凝らしていると、ふとこの世ならぬ光景に出会うこともある 
 
さて、いよいよですね。
 
←イスタンブール上空。
 
御堂筋の向こうが淀川ではなくて、ボスポラス海峡だぞ。
 
着陸直前でフラップがガクンと下がり、ググっと急上昇に転じた。
さ、来ましたね、事故か、テロか、とにかく不慮の事態だろ。
 
後で機長のアナウンスがあり管制塔の指示で再着陸になった、という。
窓外を見ていた私には、かなりコースをずれていたような気がしたが。
15分ほど大回り旋回して、もう一度同じ光景を見ることになった。
今度はうまく着陸できたようだ。
 
すると、ここ30年もう目撃することの無かった事態が起きた。
 
着陸し、タキシングになって直ぐ機内から拍手が起こったのだ。
 
ああ、昔はそうだった。
ジャンボ時代になり、着陸がやたらスムーズになって、機長の腕がどうの、ということはなくなった。
しかし、ここでは無事着陸した安堵が機長への拍手になる。
 
 ・・・・ イスタンブールは雨だった。
ストラスブール逍遥補遺 blog upload: 2013/3/15(金) 午前 4:37イスタンブールへの長い道(2)