ケール(ドイツ)自転車 .. [ストラスブール通信3] 学校とプールの日々...

 ホイジンガ氏の物語


'18 8月27日(月)
月曜朝、目覚め際のなんとはなしの不安。
遅刻?所在なさ?
朝は多少寒く、本日上3枚(Tシャツ+被り物+ウインドブレーカー)。

午前の授業が終わると、そのまま被り物腕まくりで帰宅、昼食後再登校。

午後の授業中、ふとした会話から熟年組のオランダのおジさんの本名がホイジンガということが判明。
クラス内では通常ファーストネーム呼称なので誰もクラスメートの姓など知らないのだ。
ところが例の”教授”が休み時間に独自にクラスメートの住所録を作成中。
「きみのファミリーネーム、何て読むんだ?」と教授。
 「『ホイジンガ。』オランダでは有名な名前だよ。」と・・・。
「え?ホイジンガ?」と私は思わず叫んでしまった。

いつか、何かの本で、ホイジンガは日本では有名だがオランダに行って尋ねても誰もホイジンガをしらなかった、という記載があったのを覚えている。
アレいいかげんな海外見分伝説だったんだな。
「フランス人は英語を知ってるくせに英語で尋ねると誰も答えてくれない」とかいうやつ。
いかにもフランス語に誇りを持っているフランス人なら、そうなんかも・・と思わず納得してしまうところがミソだろう。
本当はキミの英語が下手だっただけなんだよ。

その”ホイジンガ”伝説にしても、日本では翻訳学問への崇拝が極端だった時代があり、「ホイジンガ」も過度に神聖化されて吹聴されてしまっていたのか、と妙に納得したのだった。
本当はオランダでも特に称揚されているということでもない、いわば普通の古典、町に歩いている人が誰でもが知っている名前というワケでもない・・のかと。

しかし、それは違うぞ。
我がクラスメートの返答には「ホイジンガは誰でも知っている高名な学者なんだぞ」という誇りの響きがあった。
「知ってるよ!世界的に高名な歴史家、文筆家。 少なくとも『ホモ・ルーデンス』と『中世の秋』は私も読んだ。 で? あなたはそのホイジンガの子孫?」と私は少々興奮して尋ねた。
「実はウチの家系ではないんだがね(^^;」と我がクラスメート、ホイジンガ氏。

私の「ホモ・ルーデンス・・」を聞き、”教授”が「おや、ここにまた哲学者がいる!」と大声でいう。
”ホモ・ルーデンス”はラテン語そのままで、私が勝手にフランス語に訳して喋ったわけではない。
我々の年齢ならその響きになにか心当たりがあるわけだ。
ホイジンガ氏と私と”教授”がこのあたりでなにやら年配同士という雰囲気になっていく。

↑水曜夜の会食会前の自撮り写真。 私、”教授”と”ホイジンガ”氏。

ホイジンガ氏はヨハン・ホイジンガの直接の係累ではないが、自分の姓がホイジンガであるというのを結構話のネタにしているようで、後日私に次の小話をしてくれた。

 ヨハン・ホイジンガJohan Huizingaは難しい本を書いた。
 その子レオンハルトLeonhard Huizingaは私の祖父で、子供向きの本を書いた。
 その子である私の父親は本は一冊も書かなかった。
 その子である私は文盲で字がよめない。

その実、我がクラスメート Reint Huizinga氏は語学に堪能で英語・ドイツ語はネイティブクラス、あとスウェーデン語とイタリア語も。それにアフリカーンス語、はオランダ人なので当たり前か。
旅行業界に身を置き今回はフランス語での資格を得ようと夏休みを利用してストラスブールに勉強しに来ている。

4時に午後の部の授業が終了し、中欧ホールのベンチでヨメにSKYPE通話。
いつのまにかいつもの栄養の話。
水を2リットル飲むこと、蒸し大豆を食べること、カカオ70%のチョコレートがカラダにいい、云々。
そんな愚にもつかないTV商業情報を聞くのがイヤなのでコチラに来ているという意味もある。
ヨメの善意を迷惑と感じてはいけないのだが、人はそれぞれ違うということが何故素直に理解できないんだろうか?
しかし、その私がヨメが私とは違うということに苛立つのは自己矛盾か?
私の限界だね。
しかし、一方では毎日ヨメとごく日常的に喋るということが支えてくれている部分もある。
そういうジレンマ自体が私というものなんだろう。

学校を出ると少々曇り気味。
プールには寒すぎる。
それではもう一軒、見つけていたネットカフェを試そうか。

エスプラナーダの別の事務コピー屋兼ネットカフェ。
なんの問題もなくPCを利用。
ただし前回の店より高いのとPCにUSB端子が一本しかない。
まあ、しかしもうPCを使ってやる作業もなくなった・・・
45分くらい、料金1、7ユーロ。

筋向かいの文房具屋でいつのまにか無くなっていたノート購入。1.5ユーロ。
あまりいいのがないのだが。
この二つの支払いは現金にした。
カードばかり使っていたので、コーヒーマシンとか、公共トイレとかに入る小銭がなくなっていた。ほとんど現金は不要だが、それでも自販機ではコインが必要だ。

フランスのネットカフェというものがだいたい解ったので、本日の予定終了。
そのまま町にビールをのみにいく。

近くにあったタバコ屋で地元の新聞 DNA 1ユーロ。

適当なテラスでタルトフランベとビールとプチカフェ。
テラスで新聞読みながらビールをゆっくり・・・

我ながら、少しはストラスブール生活がサマになってきたか・・
しかしDNAにはもうPETITE ANNONCEの欄がなかった。
実は新聞を読むというのではなく、賃貸不動産やその他の投稿雑情報を検索したかったのだが。
今ではすべてはネットになったのか・・

考えてみると昔の学生時代にはどうしてもレストランにすっと入れなかった。
今はあまり金のことを気にしても仕方のないご身分なので、ずかずかとレストランにも入れるのだ。
食するのはタルト・フランベやピザ゙の類いなんだが。
タルトは一応オントレ扱いなのでどことなく正式のディナー客とは扱われないのでは、とか密かに小心にも^^;案じていたが、後からほぼ満席になり観光客が大半の食事客のほとんどがタルトフランベだった。
ストラスブールの名物なのだ。
ビール・プチカフェと合計 12ユーロ。

すぐ向かいの食料品屋で水とお菓子。2.17ユーロ。
意外に店の奥が深い構造・・このあたりの商店はおおむねそんな造りか。

なんとなくもうすでに見慣れてしまったいつもの町からの帰り道・・・・
コルマール大通りではなく、郊外住宅地の何でもない道筋をゆっくりと。

もうく暗くなっているのだが、運動場にはサッカーをする生徒達とそれをただ見ている大人達。

夏の夕方、値千金の自転車そぞろ歩き。
遠い昔へと連れ込もうとするノスタルジーに向かって。
日本から離れ、解き放たれた、もう一つ別の時間の流れ。

upload:2019/3/19(火)15:12
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