引っ越しと郊外東部調査 .. [ストラスブール通信3] ストラスブール撤退準備...

 あてもなく日曜日


'18 9月2日(日)
午前天気は良くない。
ホテルの窓外を眺めれば、ここはもうストラスブール市外周の運河のほとりで、昔の港湾倉庫の広大な建物が見えている。

その向こうにはうっすらとKEHL市の建物らしきも見えている。
やれやれ、これでまた日曜恒例のKEHL行きか(^^;

自転車で宿舎から走り出したところ。

上の写真の倉庫が左、宿舎が右のクリーム色の建物。
5年前”歩いてドイツに行った”時には、まだこの地区は大がかりな工事中だった。



運河の倉庫、いやドックか?あまり詳しくはないので(^^;
いずれにせよ過去の港湾都市の名残の建物。

ドイツのKEHL市に入り、中心街を右に見ながらそのまま道路を北上する。

KEHL市の左辺、写真の中心街とは逆サイドはまったくの港湾工業地帯。
日曜なので静かだが、別に見るものはなし。
ヨメと15年前に自転車でライン川のもっと下流のHAGNAU辺りからドイツ側にわたり、なかなか牧歌的な村村を通りすぎたのだが・・
帰りにこのライン川港湾工業地帯に入り込んでしまい脱け出るのに苦労した記憶がある。

しばらく工業地帯を脱けて記憶にある牧歌的な村村へ・・と試みたが、結局交通のウルさい国道を走らねばならないようなのでこの辺りで引き返すことにする。

学生時代、自転車でバーデンバーデンまで走ったこともある。
どこかの村の交差点で、前回もここを通ったという記憶が戻ってきて、という記憶が・・・
もう私の中ではKEHL市の記憶は複雑に時空不連続体に織り込まれ、デフォルメされ何も定かではない。

混沌とした記憶の中にこのまま走り込んでしまいたい・・とは思うのだが、今日ではないな。
この天気だし、あまりソチラに走り込む準備もしていない。

市街地に引き返す。

現実のKEHLも変貌していく・・今度トラムが走るという広告パネル。

トラム工事中のラートハウス前の本屋。

この本屋も40年前からここにあった。

KEHLから戻り、買ってあったラーメンで昼食。
あまり考えもしないで、とりあえずもう一泊延長をネットで手続き。
昼寝を決め込む。

    ----

起きればすでに17時。 ヨメへの定例連絡時間も過ぎていた・・・

自転車を引っ張り出したのだが、出れば外は霧雨。
ウィンドブレーカーと傘を用意して再外出。

外に出てからホテルの延泊の手続きをしておこうとすると、玄関扉が閉まっていた。
中のレセプショニストに手真似で開き方を教えてもらうが、あまりコミュニケーションが円滑にいかない。
大きな声で教えてくれる単語は聞こえているのにイメージが具体化しない。
Appuyez・Boutton・Gaush・Gris・・・
言葉は聞こえているのに左の灰色ボタンには結実しない・・

昨日のチョコレート博物館で実演嬢と前客との会話、早すぎて追いかけられなかった。
レセプション嬢と奥から出てきた同僚男性との対話も早すぎる・・・

学校での外国人や生徒相手の親切丁寧スピードに慣れすぎてしまっている。
これではいかんのだ・・・

歩いてNEUDORF、シタデル公園からエスプラナーダ・・へと。
ストラスブールで最初に住んでいた大学地区の下宿前。
もう9月になりそろそろ学生が戻ってくる気配。

Cite administrativeの長い塀を過ぎ、運河沿いの町場へと。

突然郷愁とも孤独感ともつかぬ感覚。

・・・私はいつもこのようにして歩いていた。
自転車で知らない町を走っていき、そのまま帰ってこなかったような人生。
そのような人生的規模の悲しさ。

何者にもなれず、何者も得ず、
いや、得たと思ったりしたのだが、すべては今もうない。

今はない過去の痕跡がいたるところに。
この豊かな欠落・の悲しみ・・・


運河の左岸の道路が無くなり、歩行者・自転車道になっている。

結局中心街はどんどん歩行者道に置き換わり、旧市街風になり、車と住宅はNEUDORF・MAINAUあたりのHLMに拡散していく。
特にこの5年の変化は大きい。


相変わらずストラスブールはストラスブールだが、私は今も私なのか。


時を隔てて結局同じ場所に舞い戻ってくる私は。

なんとなくカテドラルを通り過ぎ・・・

そろそろどこかでビールでも・・・

すでに中央駅への界隈にさしかかっている。

昔、冬、この角のブラッスリーにたまる男達を見、いつかあんなところで普通に食事しているのか?と考えたことがある。
貧乏ではなかったが、私は根っからの自炊人間だった。
というより、他人が苦手で、今でもレストランになんとなく入るという習慣はない。
その時も既に30台後半なのに、心理的には「小僧の神様」の小僧状態だった。
どこまでいっても場違いな自分、という意識。

”ABBATOIRE CAFE” 昔はこの場所に屠殺場があったのだろう。
今は冬ではないが、いつかの冬の光景を思い出し、そのままドアを開ける。

昔風のおっさんが溜まっているブラッスリーではなく、若者が一杯の今風カフェだった。
タルトフランベシャンピニオンと大ビール、後で大コーヒー。
店のWIFIでタブレットからパリの格安3星に最後の旅程の2泊を予約。
やっとこれでこの夏も終了か。

12ユーロか、安いもんじゃないか。
今は幸い所持金のことも、チップのことも何も気にすることもない・・・
どこでもカードで充分だ。
その昔は支払う手続きさえ面倒でおっくうで・・それも外では食べたくなかった理由だったか。
別に急ぐわけではない。
ゆっくり歩いて帰ることにする。

カテドラルの裏側広場で丁度夏の観光シーズン最後のプロジェクションが始まっていた。

もう肌寒いのでそんなに盛り上がらない。
もう9月になっている。

プロジェクションの見物も終わり、そのまま町筋をたどり・・・。
外周運河新興商業地のマクドでコーヒー。
23時30分、そろそろ帰る時か・・・
夏の終りのストラスブールから。

upload:2019/3/31(日)11:13
引っ越しと郊外東部調査 .. ストラスブール撤退準備...