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[台北で]

台北で(1)

2015/11/11(水)14:36
11月2(月) - 11月5(木)

関空ターミナル2の唯一の住人・ピーチ・アビエーションの機体
「国産初の本格的LCC」の運賃が「もう一つ別の旅」への夢を植え付けた

先月、ベトナムから帰国トランジットの台北で乗り継ぎ便が台風で遅れ、「勝手に」台北桃園空港を抜け出し、故宮博物館に行ったのだった。

発展途上というかアジア的カオスというか、とにかく異様なエネルギーと明るさに満ちたベトナムとの対比は明らかで、整然とした街並みと発達した地下街に比較的人通りは少なく、バブル期を経て落ち着くところに落ち着いた都会という印象。
アジアでは「成熟した都会」と形容することもできるだろう。

MRT(地下鉄)を中心とした都市交通も発達し、2時間前には入国することさえ考えてなかったのに、英語・日本語も問題なく通じ、通過するバス停の表示も漢字で一目で認識でき、何の問題もなく空港シャトルバス→地下鉄→路線バスを乗り継いで故宮博物館に行きつけた。

日本から近く、交通費も安く、都市機能の違和感もない。
もう一度「軽く」来てもいいか、と思えたのだった。

台北桃園空港着が少し遅れ、シャトルバスも夜のラッシュで少し遅れ、結局台北駅着は夜の9時過ぎ。
取りあえずということで台北駅前の商業ビルの上階で食べた「豚カツ+ラーメン」

初日のホテルは予約してあったのだが、HOTELS.comの予約票をタブレット画面で見ると何とホテル名と住所が日本語とアルファベット表記になっている。
グーグル地図(漢字標記・部分的にアルファベット)との整合性はない。
かろうじて「XIMEN」が「西門」に相当することは分かったが、とてもこのアドレス標記では私はホテルに自力では到達できない。

翌日早朝(でもないが)の西門繁華街・夜はさぞにぎやかに
駅前道路に客待ち駐車中のタクシー列の先頭に乗り込む。
「Do you go to  hire?」とタブレットの画面を示す。
初老の運転手はタブレットをしばらく眺めていたが頭を振る。
知らない・・分からない・・他に聞いてくれ・・・というように。

先ずホテルの名前が日本語のカタカナ標記になっている。
私がカタカナを読み上げるが、その英語に何の手がかりもないようだ。

後で知ったが「西門日記」というのがホテルの正式名だった。
それがHotels.com日本語版では「ダイアリー  オブ 西門」という全く意味のないカタカナになっていた。
アドレスもすべてアルファベット表記、これはこのサイトの台北の全ホテル共。
ところが、運転手はどうもアルファベット文盲で、まったく読めないのだった。
また、アルファベットが読めたところで、発音記号が分かるにすぎず、同音異字だらけの中国語の標記までは簡単には分からない理窟だ。

タクシーから追い出され、もう一度グーグルで「西門」辺りの地図を確認するが、それ以上の手がかりはない。

くっきりとした私の法令線と「西門紅楼」の装飾線がよくつり合っている

海外旅行目的地到着時の思わぬお手上げ状態。
毎度のことだ。
その度に何とか工夫し、やりくりしてクリアしてきたのだ。
イスタンブールのアタチュルク空港で、ホテルに電話したら早口英語がまったく聞き取れなかった時等(^^;
通行人に尋ねても無駄だろう。

思い余って台北駅前の新光三越デパートに入ると、サービスカウンターがある。
制服のお姉さんにアルファベット表記のアドレスを中国文字にトランスクリプトしてください、と頼んでみる。

流石は総合案内嬢、しばらくアルファベットを見ていたが、カウンターの受話器を取り上げホテルに電話し、直接ホテルに中国語の住所を尋ねてくれた。
手書きのホテル名、住所のカードを持って、タクシー列に戻り運転手に示す。
先ほどの初老の運転手ではなかったが、今度は問題なく「OK」。

西門繁華街の雑居ビル内のホテルに無事到着。


「西門紅楼」一階に展示してあった昔のホーロー製看板群
「ミヨシ マルセル石鹸」は「マルセーユ式の洗濯石鹸」のことだからね

先週、ネットでピーチ・アビエーションの関空→台北価格をみたら¥7800だった。
即、翌週平日に台北に行くことに決め、往復チケットを買った。
実際には出発時間の関係で¥9800のチケットになり、更に空港使用税が加算されるのだが、東京に新幹線で行くより安いのだ。


「西門后天宮」 繁華街の商店の間にふとこのようなお宮がさりげなく混じっている。

夏気候で着替えもそんなに必要なく、カメラもパソコンも持たず、軽い小型のショルダーサックだけで平日3泊4日一人旅。
ヨーロッパ長期滞在型だった私の海外旅行のパターンでもなく、ヨメと行く連休利用海外レジャー旅行のパターンでもない。
もとよりもうレジャーとしてはヨメの海外旅行にもう同行することはないと決めた。
どうしても旅行の目的や旅行に期待することが違いすぎ、調整不能になってきてしまった。


私にはレジャーとしての海外旅行に行きたいというモチベーションはない。
もう何も見たいものはないし、一生見ない方がいいこともあるのだ。

という訳でアレが最後のヨメとの海外旅行のベトナム行きだったのだが、思わぬことにまったく別の方向からアジア的カオスの呼び声を聞いてしまった。

もうどこにも行きたくはない。
ただ、私はもう帰りたいのだ・・・。

『夜の八時半のチャイナタウンには、凄い熱気が渦巻いていた。ここは暖色の街で、私などが久しい以前になくしてしまった、懐かしい汚れがあった。このきたなさは多分、熱さと関係があるのだが、こういう汚れた熱気にどっぷり身を浸していることには、何者にも代えがたい幸福があった。
自堕落な、ぐたっとした幸福。熱さの中で人の心が溶け出してゆく。溶け出していって自他の区別がなくなること、そこに群集の孤独の核心、その深い秘密の核心があった。』
(鈴村和成)

『暑い国の戸外でうごめくようにただ暮らしている人々の中に紛れ、自分のささくれだったアイデンテティを密かに、本人にも内緒で消し去ってしまうことの、もはや自分ではなくなる淫らな幸福感』と私は捕捉したのだが。
暑い国の光景はどこか自分の子供の頃を思い出させる。

じっさいにも私の幼少期の光景には市場があった。
それはもう今ではどこにも残っていないのだが、ベトナムや台湾にやって来て、「市場」というものがあったことを思い出すのだ。

スーパーではなく、市場で刷り込まれた生活の匂いと感覚。

雑然とした市場の喧騒から立ち上ってくる、うごめく人々の中でただ走り回っているだけの、実にあっけらかんと、ただの子供であるおぼろげな私の姿。

だから、何か未知への好奇心が旅に誘うのではない。
何か忘れていたものを思い出すように。
自分がどうしょうもない老人ではなく、無邪気に遊んでいる子供ででもあるように。

ショルダーバックだけ下げて、カメラも持たずに、近所の市場に遊びにいくように、
ふらりと旅に。

写真:    2015.11.3 台北市西門付近/  11.5 南京東路5段市場
鈴村和成「金子光春、ランボーと会う マレー・ジャワ紀行」弘文堂 2003

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