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[ヴェトナムで暮すということ]

ヴェトナムで暮すということ

2016/3/30(水)16:15
2月は飛行機代が安くなる。
以前からこの時期に出かけることが多かった。
2月はフランスで2週間、8月はドイツで一カ月というローテーションをやっていた時もある。
しかし、もうフランスに行くことはない。
私はシャルリではない。

昨年の三月にカトマンズ旅行を企てたが、現地空港が事故閉鎖、飛行機が飛ばず、関空から戻ってきた。
未遂に終わった企ては「カトマンズで死ぬということ」とタイトルを付け、虚実取り交ぜいろいろ書いてみた。
直接的には自分の「老い」に閉じ込められ座死を待つばかりという閉塞感があり、手ぐすね引いてすぐ後ろで待機している持病の鬱の裏をかくつもりで、旅行未遂記やその後のヴァーチャルで嘘っぽい文章を捏造していた。
とにかく息苦しい日々があり、私は悪あがきを繰り返していた。



昨年9月に行ったヴェトナム旅行、引き続いて通い始めたLCC利用の台北行きは、私の閉塞感に別の方向から風穴が開くのでは、という期待を抱かせてくれた。


それはいったい何なのか?
よく分からない。

日本やヨーロッパではもう感じなくなった生活の暖かみかもしれない。

開けっぴろげの商店や住宅から漏れてくる市井の生活の匂い。

子供の私がそのまま家に帰り、何ごともなかったように下町で遊び呆け、気が付けばもう私の一生が閉じている。
そんな夢想がしきりと回帰する。

日本やヨーロッパに空気のようにはびこり、自由に呼吸もできなくしてしまう「偽善の包囲網」から逃れ、誰にも見つからず、自分自身という意識さえ持たなくともいいような。

         南アジアの母なる包容力

か?

中部ヴェトナムの田舎町で暮らしてみたい、と思った。
日本やヨーロッパで死ぬのはイヤだ。
ヴェトナムの田舎町で誰にも知られず、ぽっこり死にたいもんだ。

日本に居ると死ぬことばかりしか考えられないが、ヴェトナムではそんなことはどうでもいい、という気になる。
ただ普通に自然に天然に生きてればいい。
いずれそのうち終わってくれるだろう。
この人生か、それともこの世界か。


まあ、そんな風に今回の紀行は

      「ヴェトナムで暮らすということ」

という表題にしておく。


一カ月くらいの滞在を考えて飛行機のチケットをネットで手配。
購入する直前の画面で「ビザは取得した?」という注記があるのに気が付いた。
なんと、ヴェトナムは15日以上滞在するにはビザの事前取得が必要なんだった。

おまけにビザの取得に要する費用や期間は在日ヴェトナム公館のHPには明示されていない。
いままであまり意識していなかったが、やはりヴェトナムは社会主義国なんだ、とか(^^;

もう間に合わない。
仕方がないや、今回は2週間、14日ぎりぎりの滞在ということにして航空券を取る。

2月18日(木)関空夜発のチャイナエアで台北(泊)
2月19日(金)→3月4日(金)まで2週間ベトナムに滞在し、その日の夜には関空に。

当初はハノイからホーチミンまで縦断することも考えていたのだが、2週間しかない。
それに観光するわけでもない。
ホーチミン往復チケットでいいだろう。
19日(金)のホーチミン到着後すぐ現地のVetJetAirでダナンに飛ぶフライトも手配した。
帰路のホーチミンへの帰還便は適当に現地の情況で決めることにして保留。

リュックサック一個に荷物をまとめ、では出発。



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