世界のエトス(J 250ccバイクの不..
[団塊の段階的生活]

世界のエトス(J.ハーヴェィ)の重層構造(おまけ)

2013/5/7(火) 午後 6:09
(おまけ)
腰を痛め、しばらく体錬を休んでナマけていると今度は風邪をひいてしまった。
身体の不調は精神の低落をもたらす。
 
鬱の気配は先ず雑多で乱雑に交錯する私を取り囲む世界のエトスからやってくる。
気が付けば次第に私の領域に侵入し、不気味に増殖を続けるガラクタ達。
しかし一つ一つの物にはそれぞれ意味があり、その歴史やちょっとした思い出も付随している。
目に入るそれぞれの世界が互いに無関係に入交り、自己主張を勝手にくり広げ、わずらわしい。
心が弱ってくると、そのような雑多な意味が私を押しつぶしにかかる。
 
ハハオヤの家に行くと常に私に持って帰れとモノをご下賜くださる。
社会生活とはモノを所有する、あるいは購入することで、そのことが生きている意味そのもののようだ。
 
私は長い独身生活で、節制節約の精神がホネ身に沁みついてしまい、不労所得でお金持ちになってしまった今でも物をさっと捨てることができない。
賞味期限がとっくに切れた食品さえ、「もったいない」という意識があり、あっさり捨てることができないのだ。
しかし、独身生活時にはそれなりに自己完結し、簡素で箪笥もない質素な住居にあった物だけで暮していたのである。 もっとも今でも箪笥なんぞウチにはないが。
 
しかし、結婚してからはいつの間にか増え続ける雑多な物に浸食されていく空間の隙間に生きているような状態になってしまった。
消費生活時代に産まれた世代のように簡単に物を捨てられないのだが、そのくせ人並みに物を買ってしまうという矛盾した生活になり始めていたようだ。
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一昨年、昨年ともゴールデンウィークにテントを担いでのバイクツーリングに出ていた。
今年のゴールデンウィークは前半・後半に分かれてしまい、前半はすでに別予定があったのでつぶれ、後半も短いので今年は遠出はなし、とヨメと合意していた。
実を言えば現役サラリーマンのヨメとは違い私に連休遠出のモチベーションは低く、例年北海道!だの九州!だのやたらテンションが高いヨメとイガミ会いドロ試合しながら目的地の折衝をしていたのだ。
 
今回、連休後半前夜にヨメが会社から帰り、やはり明日からどっか行く!と宣言しだす。
キンキ大学との遺恨がまだ続いていて、感情的日常回帰ができない。気分転換がどうしても必要、という。
 
しかし、今回はどこにも行かず、バイク屋にバイクを見に行くだけ、と決めていただろ?
アナタ側のことなんて、もうどうでもいい。キン大のアレのこと、このままで収まらん。
会社の憂さを家に持ち込まない、というのがサラリーマンの鉄則だが、そんなことが通用するヨメではない。
非常に雲行きが怪しく、もとより私の精神・肉体状態も良くない。
しかし、なるべくなら現役のヨメの必然性に優先権を与えてあげたいのだが。
 
また例年のように目的地を決める泥試合が始まってしまった。
ご近所周遊、せいぜい近くのキャンプ場一泊という私と、どこでもいい遠く、一度いったところはもういい、というヨメ。
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翌朝(5・3)も灰色のまま。
インターネットでキャンプ場や国民宿舎を検索しているのだが、どちらかというと、その日の出発はないとかいうような気配。
 
近所のオークワで買い物をしてきたヨメが冷蔵庫を開け、内容を確かめてこういう。
「これじゃぁ、どこにも行けない!」
前日、私はいつもの通り一週間分の野菜を買い、冷蔵庫に入れてあったのだ。
ちなみに、ウチは自宅勤務の私が主として食料調達を担当している。
 
多量の野菜を盛り上げサラダにして食卓に出してくる。
ここで、私の側のスイッチが入ってしまう。
 
私は普段は明るく楽しい無害なキャラクタを演じているのだが、その実得体のしれない暴力的衝動に支配されることもある。
定例によればヨメが会社で抱えてきた鬱屈を直接こちらにぶつける時があぶない。
そんな会社など、私がそうしたように、いつでも辞めてしまえと思う。
前回は食卓のすべての食器、土鍋、コーヒーソーサーが床の上で粉々になってしまった。
 
大量の野菜サラダがそのまま流しに捨てられる。
それから冷蔵庫の野菜がすべてゴミ袋にぶち空けられる。
で私は言う。
「さ、これで今からツーリングに出よう!」
 
もちろん、それで気分も良く、ルンルンとツーリングに出られるわけでもない。
ヨメを寝室に閉じ込め、私は自分の逆上をどうにか処理してしまおうと試みる。
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ここまでは、まあ普通の(^^;日常的光景だったのだが、ここからが可笑しかった、いや、おかしかった。
私は突然冷蔵庫の中身をすべてゴミ袋に捨て始める。
生野菜だけではなく、保存食も冷凍庫内も、ビン詰め、調味料も。
モノに囚われているから自由になれないのだ。

台所の食器、乾物の備蓄、食卓上の調味料、台所回りのガラクタ、目につくモノをすべて捨てにかかる。
ゴミ袋に詰めて全部廊下に出す。
ゴミの収集は今朝は祝日でない。来週までこのまま。
捨てながら、きっちり缶ビン、プラスチックを分別し、調味料入りの容器は中身をきっちり流しに流し、洗浄してビンだけにしているのは逆上中とはいえ、我ながら立派な市民生活者である。
もし集合住宅でなく一軒家に住んでいたら、「家を燃やしてやる」くらいの暗いエネルギーも見えている。
 
「捨てれば自由になれる」
 
全て捨て切れば私は初めて自由になれるんだ、と頭の中で一方の主観が繰り返していた。
ヨメやそのハハオヤのモノ(と金)への執着への反発。
そういう自分自身の内なる安逸な生活願望と経済的不安感への疚しさ。
それ以上に、日常に侵入してくる得体の知れない多量のガラクタへの嫌悪。
 
何もないところに帰ってしまいたい、という強烈な願望が目の前にあった。
根源的な破壊願望。
大人を停止し、ただの無責任な胎児に帰ってしまいたい胎内回帰願望。
 
ここで私は決然と出家するのが潔いのだが、そうはいかない。
全て捨て去ってしまえば、もう生き続けることもない。
自分の生を今捨てるだけの逆上には至ってはいない。
私はすべてを捨てよう、とは念じていない。
不要なものはすべて捨てよ、と思っているだけだ。
ただ不要なものの見切りを普段は付けられない。
だから逆上発作の黒いエネルギーの影響下で、目につくものすべてを捨てているのだ。
 
そのうちヨメが顔を出す。
「何してんの?」
「いや、ちょっと整理して・・・だいぶカタついたよ。」
 
気が付けば朝食も摂っていない。
もう食料も調味料も何も残っていない。
「おなかすいた。何か買ってくる?」
「買ってくるんなら、まだ廊下に何かあるよ。」
 
と、ここで捨てたハズのゴミ袋の中をあさり、何か食べられるものを回収にかかるのである(笑)。
別に醤油や塩、缶詰や酢まで流しに捨て去る意味は無かった。遠くに引っ越すわけではないんだから。
 
ただの人生リセット願望だったか。
いままで私は何回リセットしたことだろうか?
私にはモノ(と金)を捨てるのは比較的簡単なことだった。
 
家族や国を捨てるのはもう少ししんどい。
しかしできないことではない。
まあ、やらないにこしたことはないが(^^;。

見ている世界はそれぞれすべて違う    
 
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かくして連休第一日目のツーリングはなくなった。
 
バイクを見に行くことにしてレッドバロンに行ったら、7階の山さんに偶然会った。
話してみるとこの方は相当なバイクオタクで、ヤマハTWを好きにカスタマイズし独自の世界を持っていた。
ヨメは山さんの強烈な感化でFTR250に傾く。
 
その後、HONDA DREAM店に行くが、連休初日なのに休業、ムカイに回る。
 
というわけで、明日は⇒ツーリングだね。
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