途中下車不能!  岐阜谷汲山紅葉満..
[団塊の段階的生活]

年金報道のウソ

2013/11/7(木) 午後 9:41
NHKスペシャル シリーズ日本新生「熟年サバイバル〜年金減額時代を生きる〜」
     2013年11月2日(土)  午後7:30〜午後8:45(75分) 
とかいうのをみてしまった。
私は不可解な理窟でNHKの視聴料を支払わさせられている。
視聴料は公平公正に支払わさせているのだが、私のような少数者は番組編成上からまったく相手にされていないのが、なんとも悔しいですぅ(涙)。
 
NHKが視聴者として想定しているのは大企業の給与生活者及びそのOBで、退職金なしの非正規雇用者、年金なしの自営業者、その他本当に経済的に困窮している層はもとより無視。
NHKという大企業、高給取りのディレクターが本当の貧困を知っているワケはない。
年金が減額し、消費税がアップし、支給年齢が引き上げられれば前の世代より個人の財政が縮小するのは当然だが、しかしそれは即困窮するということではない。
いやしくも年金をもらえている人が貧困なわけないだろ。
それがですね、少しでも減額するとすわ一大事とは、なんちゅう金満メタボ体質だろう。
 
一様におっしゃっていたのは、定年でも会社を辞めるワケにはいかず、働きつづけたいということだった。
しかし、どういう理由でできるだけ長く勤めたいと言うのかよく分からなかった。
発言者や取材された方の資産や年金額は一切不明。
ただ年金が減額されるということだけが共通項としてあるだけだ。
 
まだ勤めなければならない理由が一つだけ明確に紹介されていてたが、住宅ローンの返済があるということだった。
なら、家なんて売ってしまえば、もう働かなくともいいと思うのだが。(注1)
 
と、一応毒ついてみるのだが、こういう理屈はよくわかっている。
つまり、自分の現役時代の生活が維持できなくなることを「困窮する」と言っているのである。
 
私は「一所懸命の日本」と題するブログ論説を連載し、そこで日本人の資産感を歴史的に分析した。
繰り返せば、自分の資産(不動産・貯蓄)に一切手をつけず、ただ年金等の収入だけで生活をやっていく、という前提が広く共通意識になってしまっている。
「老後に備えて」蓄財はなさっているハズで、定年になった今がその老後の蓄財の出番とおもうのだが、とり崩すのはまだまだ先らしい。
自分の死期を見定めることがないので「老後」もいつだかわからないようだ。
いつまでたっても、多分死ぬまで老後はやって来ることはないんでしょう。
 
---
消費税率引き上げ時、ニュース番組でインタビューされていた方の例をヨメから聞いた。
「70歳年金月額22万円で夫婦二人では苦しい」とのことだった。
ばかばかしい X3、そんなものインタビューする意味はない。
 
バカバカしい1)月額22万円で生活できないのは贅沢すぎるというものだ。
 
バカバカしい2)そんな年金をいただいているくらいだから、現役時代はいい給料だったワケだし、かなり貯蓄資産はあるハズでしょう。
それとも老後の生活資金を一切貯めず、すべて消費してきたんでしょうか。
そうだとすれば、自業自得ですね。
 
バカバカしい3)多分、このご老人は本当は生活に困ってはいないのだ。
しかし、テレビの取材で「消費税アップで生活はどうですか?」と問われれば「苦しくなります」と答えるのが、いわば日本的謙遜の定例パターンである。
「ウチは金持ちだから、いくら税率がアップしても関係ないよ」なんて私以外誰が本音を言うもんか。
 
年金受給者の暮らしぶりは年金以外の資産(預金・不動産)をきっちり公開した上での取材報告でないとまったく無意味である。(注1の2)
ただ「皆が苦しい」と言っている、というシナリオ通りのやらせをでっち上げているだけで。
 
---
このNHKの視聴者代表参加番組では、一般から募集したという建前の視聴者の中に2名ばかり少数者がいて、この方の発言だけは同意できた。
この方2名は病気で長らく不安定な就業形態を余儀なくさせられていた方と非正規雇用の50歳だった。
彼らは二名とも、この場で議論されているのが「持てるものの贅沢な悩み」に過ぎないということを訴えていた。
しかしこの発言をフォローするつもりは司会者(三宅民夫)の意識に一切なく、まったく無視。
 
そんなところだ。
文句もいわず、気前よく視聴料を支払う層しかNHKは相手にしていない。
私は馬鹿げたNHKの視聴料を支払いたくはないのだが、テレビショッピングばかりの民放は一切見ないし、やはりNHKの番組にブツクサいうのは楽しいので(^^;
ブログでコキ下ろすことができるのも、私は真面目に視聴料を支払っている善良な視聴者だからだし。
 
注1)「家を売ればもう働かなくてもいい」というのは一般的なケースで、私の場合は実に悲惨な状況だった。
↑上で資産公開しない方の意見なんぞ聞く意味ない、と見栄をきった手前、きっぱりと私の資産をここに公開するものである。面白いぞ!
 
平成2年、今買わなければ一生家がないぞ、とバブルの波に流され現在の安集合住宅の一室を2800万(自己資金200万)で買った。
当時は銀行がバブルをあおり、いくらでも住宅購入資金を貸してくれた。
ところが、バブルが崩壊し住宅価格は暴落、家を売るとローンの残金だけが残ってしまうというローン地獄になってしまったのだ。
 
10年後に会社が倒産(注2)、50歳の私はめでたくも今をときめく非正規労働者となってしまったのであった。
厳密には倒産ではなかったが、業績が著しく悪化、ボーナスはしばらく前から一切支給されていなかったが、とうとう給与の遅配が定例化、耐えられない従業員があぶり出され放りだされていくといった状況だった。
 
倒産ではなかったので、それでも退職金はいただいた。
しばらく前に従業員名義の退職金積み立て口座を会社が解約、運転資金にすることに同意した経緯があったが、結局退職金として大枚金100万円ナリをいただけた。
しかも、なんと月10万円の月賦で一年近くかかって支払っていただけたのだった。
 
もちろん退職するタイミングでなんとかローンは完済。
おかげでこの時点で50歳自己資産(動産)ゼロ、非正規労働者という非の打ちどころのない立派な無産階級労働者となったのでございます。
 
資産としてはこの安集合住宅が手元に残ったのだが、「700万でお探しのお客様がいらっしゃいます。」(福田不動産の10月のチラシ)というのが現在の時価らしい。
差額の2000万、いったいどこに行っちゃったのか?
このHNK番組で、どなたか解説者が「バブル期に家・土地を団塊の世代に売りつけた上の世代が儲けた」と言ってたが。
 
しかし、私は別にそれでも貧困という意識はまったく持ってなかった。
働けば食べられたし、働けなくなったら死ねばいい、と思っていただけで。
 
派遣・非正規労働者・ボ、退職金なしの契約社員・自営(通訳ガイド)といろいろ経験ができたこともあり、どちらかというとどこでもツブシが効くというメリットにもなったと今は思っとります。(言っときますが、私はもちろん離婚経験も。)
 
だからこの番組で発言していた生涯大企業べったりの同世代の方とは決定的に人生観が違ってしまってるのは当然だろう。
持てる方は持てることでさぞかしお悩みもあるんでしょうなぁ。・・・
 
違っていて当然だが、しかしそうした周囲への違和がどうしても払拭できず、それでも付きまとってくる世間はばかばかしくもうっとおしく、時として鬱まで引き起こしたりする。
私はNHK的に善良な人間では毛頭ございませんので。
 
注2)自分ではよく喋るが、他人の言うことはまったく聞く気がない私は、あまり他人のブログを閲覧しないのだが、一つだけ例外がある。
 
例の倒産した会社に勤めていた元同僚(ひとまわり下)のブログだが、軽妙な短い文章に纏めるのがうまく、文章ネタがいつも生きがよく・・おもろい。
 
20年前にはそれほど親しくもなかったのだが、ソイツのブログを読んでいると基本的な社会感覚、ちゅうか生きている姿勢がどこか私と同じと思うことが多く、違和をあまり感じることがないのだ。イヤだけど(^^;
 
あれから、会社とは別の場所で趣味程度に金を稼ぎ、好きなことをやりながら、適当に、それでも世間並にちゃんとやってきたわけだ。
当然NHK的公共モデルの標準性格なんぞではあり得ようもないのだが。
 
私なんかは時として、周囲がうっとおしく鬱にもなろうというもんだが、この御仁は斜めに構えて世間をやり過ごし、今もしゃあしゃあとおもしろおかしく生きている。
 
当時から私にはない特別な才能があったのは否定しようもない。
社会との調整能力というか。
どこに行っても周囲がじりじりと場所を空け、いつの間にかど真ん中にしゃしゃり出てしまっているのだ。
違っていることで周囲が一目置き、自然にのし上がり、気が付くとお約束の席に着いているという風に。
 
それ、私の席だったハズだろ? (←20年前の会社での私)
違っていることでどんどん排除され、もうどこにも席がない現在の私は。
持って生まれた才能の差とはそんなもんだ。
くやしいけど。
 
途中下車不能!  岐阜谷汲山紅葉満..