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[団塊の段階的生活]

大西巨人「神聖喜劇」

2014/3/20(木) 午前 4:18
私の個人サイトの読書控を最近整理し、1992年度くらいからの私の読書記録を自分でも簡単に閲覧できるようになった。
それ以前は手書きなので簡単には参照できない。
それに、多分その時代の日記ではあまり克明な感想文など書かなかったに違いない。
 
記さなかったにしろ、確実に記憶の中に刻まれている書物はある。
 
大西 巨人 (1916年 - 2014年3月12日)の訃報に接し、膨大な小説「神聖喜劇」の数個の場面の印象が回帰ししばらくその記憶を反芻したものだ。
今、1992年からの読書控を参照すると1999年に大西巨人「五里霧」を読んでいた。
そちらは全く記憶には残っていなかったのだが、書いた文章を読むときっちりと読後の印象が戻ってきた。
別に外側に書くと記憶が薄れ、内にしまうと記憶が内在化していく・・という訳ではないが。
最近「記憶を忘れる」という奇妙な発言をした人をテレビで見た。
面白いので私も使ってやろうと思っているのだが。
「速度が速い」とか「温度が熱い」とかの類だね。
 
「神聖喜劇」は超人的な記憶力を持つ若者が圧倒的な階級社会である日本軍に組み込まれ、その異常な閉鎖社会の中で異常に明晰な頭脳で周囲に働きかける物語である。
粗暴で全く教育のない下士官が直接の非情な社会の壁として描かれてい、この人物の造形がくっきりとしていて小説に見事なリアリティを与えていた。
若者は博覧強記な文学青年だが、旧制高校生のひとつの典型として文武両道を行き柔道の黒帯であるというような設定だった。
これはその父親が昔の武士風の漢詩の教師であり、人格者として地方の名士でもあり・・・というように記憶をほじくり出せば、昔読んだ物語が未だに私の内側で生き生きとうごめいていることが確認できる。
 
この全く学歴のない下士官は、自分の信念を曲げず、言わねばならないことをいう高校出(旧制)の新兵である若者をことあるごとに目の敵にする。
しかし、この典型的な体育会系下層庶民(ウチの親父はこのタイプだったな)は、腹黒く策略をめぐらすようなねじくれた性格でなく、若者が銃の細部の部品の名まで正確に暗唱指示すると、当初の意地悪い質問の暴力意図をあっさりと引っ込める。
若者が密かに修練し、実地訓練で寸分の狂いなく砲の照準をピタリと合わせると「でかした!」と「まるでどこかの殿様のような」賛辞を発する。
「神聖喜劇」は旧日本軍の暴力的ともいえる階級的体質を正面から扱った物語なのだが、主人公に超人的な記憶力があり、一種のヒロー小説のような爽快感まで味わえる面白さを与えていて飽かせない。
 
超人的な記憶力、一度読んだ文章はすべて記憶でき、しかも漢文のみならず英独仏の文献に渡るという・・・なんともSFじみた記憶力である。
大西巨人はその記憶力を描くのに実際に和漢の書物の全くの全文引用を小説の中でやってしまう。
そんなことをやっているのでやたら膨大なページを費やする小説になってしまうのだ。
 
しかし、そのような和漢洋の才知を自分のarsenal(兵器庫)に格納するというのは旧制高校生のペダントリでもあるが、私の当時の時代遅れな憧れでもあった。
今考えると、私は何かそのような物として読書をし続けていたのかも知れない。
ここで突然サン=ジョン・ペルス、1960年ノーベル文学賞の名が浮かび上がる。
何とこの若者は当時は無名のこの詩人のフランス語まで暗唱してしまう。
どちらかというと、私の記憶力も相当なもんだ・・とチラとは思う(^^;
 
で、当然教育勅語の暗唱なんて何の問題もなく、兵隊手帳に記載されている兵心得というようなマイナー・ローカルな法まですべて暗記暗唱してしまう。
そして、旧日本軍に固有の「・・少尉殿」という上級者に対する呼称をせず、独り「・・少尉」と呼称するに至る。
当然、叱責されるのだが若者は根拠となる兵心得を唱え、階級名に敬称を付けることが法的にも誤りであることを指摘する。
 
なんと!
と読んだ当時私は感嘆した。
思い出した。私は当時東大阪の染料問屋の社員であり、社員は皆「社長サン」と岡本社長を呼称していたのだった。
 
そして当然、旧体制に正しい才知で反逆を試みる若者であった私は「・・社長」「・・課長」と正しく呼称するに至る。
そして終には会社から追い出され、家庭に逃げられ、日本から追い出されるハメになっていくのだった。
 
今でも日本語での敬称や呼称にかなり敏感に反応する気味がある。
そのようにバーチャルな現実であるハズの読書は確実にリアルな実生活上の体験として確実に私の人生に組み込まれている。
大西巨人の「神聖喜劇」で、旧日本軍の二等兵という体験を私は生きてきたのだ。

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