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[団塊の段階的生活]

ハチャトウリアン・ヴァイオリン協奏曲を思い出す

2015/5/19(火)4:46
5月9日(土)
ランチ+コンサート
@大阪天満橋イタリア料理マリアン
横山亜美(vn)  小川哲生・梅本佐知子(cl) 姫野真紀(pf)

クルーセル、メンデルスゾーンのCL Duoやpf Trio等レア曲満載。
特にハチャトゥリアンのcl,vn,pf トリオがB級クラシックグルメの私には極めて美味でございました。
尚、料理はもちろんA級、故食い放題常連の私には量的にちぃと(^^;...
尚、姫野真紀は私のピアノの師匠でございます。5年前に2回レッスン受けただけですが(^^;



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とりあえず上の記事をFBに上げておいて、後で演奏会評を仕上げるつもりだったのだが。
このところずっとカトマンズ以来の低調さ(^^)を順調に維持、終生の友・鬱との連日のかくれんぼ遊びに忙しく、とてもそこまで書くことにのめり込めない。
もとより「評」とはあまりなじまない、気楽なレストラン・カフェでのサロン風の演奏会だった。
「評」はやめて他のハナシにする。

料理はイタリアン・ランチ→
直ぐ前に食べてきたB級グルメの覇者駒ケ根ソースかつ丼とはコンセプトがまったく違う。

でも、パスタ・ピザのイタリアンレストランはヨーロッパではB級グルメだよね。

丁度、私の大阪出張日だったのでそのランチ&コンサートに行ったのだが、久しぶりの天満橋界隈。
地下鉄谷町線天満橋駅トイレが歓迎してくれていた。
「男スーツで青、女スカートで赤」の単純化はドグマチックな男女同権論者からは何かありそうだが、「これでどうやねん!」とのわかりやすさに文句のつけようもない・・のか?

大阪城、造幣局は先月にもいったが、谷町側ビジネス街は久しぶり。
京阪天満橋駅正面前ブロックの「天満橋八千代ビル」?
思い出したぁ!
33年前、ここの事務所でプログラマーのアルバイトしてたんだった。

最近、もうヨメと大阪に出て演奏会に行く機会は殆どなくなった。
私も大ホールでの演奏会の音楽以前の雑事に付き合うのがほとんど苦痛になっていたこともある。
自宅でデジタル化されたバーチャルなコンサートを聞いている方がよほどいい。
あまりに今日の演奏会では音楽以前のことが多すぎる。

このコンサートではランチを戴いたその席の、同じフロアで演奏者達が出てき、何やら言いながら音楽を始める。
多分、この同じフロアというのが同じ場にいる人間同士という関係性を醸しだし「何やら言いながら」というような挨拶程度のトークも誘発する。
室内楽というものは本来そういうような場で演奏された音楽だった、というような小川哲生(cl)の話も間に入る。
この方はなかなかの話手で、適当なユーモアで場を盛り上げる。
少しなじみのないクラリネットという楽器の話。
梅本佐知子(cl)の楽器はB管のボエーム式だが、小川のはフランス式のハイブリッドであるとか。
確か、メンデルスゾーンの時代ではE管(E♭)が普通だったと記憶するが、演奏後に梅本に尋ねたところ双方ともB♭管で運指が多少違うだけ、と。
で、小川さんの楽器の音色の方が明るい目ですね?と確認したのだが、「逆」ということだ(^^;
軽快なメンデルスゾーンのクラリネット2重奏、これは全くメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のキラキラする木管の飛び跳ねるプレストを思い起こさせた。

どこの演奏会に行っても金太郎飴のごとく万人向けの名曲しかプログラムにないことが私がコンサートから遠ざかってしまった理由の一つだったが、今回はクラリネットがらみだったので、初聞の曲が大半。
クラリネットの演奏会定番はモーツアルトの協奏曲とクァルテット、それにブラームスのクァルテットで、私はそれしか聞いたことがない。
特にクルーセルなんて作曲家の作品はこういう機会でもないと聞けないものだろう。

私は最近「B級クラシック」グルメと自称しているのだが、これは別に私の命名ではない。
ナクソスレーベルで日本では絶対に演奏されないような作家の曲ばかり漁っていたとき、どなたかが「B級クラシックの宝庫・ナクソス」と書いていたのでニヤリとしたわけだ。

ウォルトンやブリス、カッゼラ等の作品は普通日本で演奏されることはない。
しかし、最近カッゼラがN饗定期で演奏されいたので、そろそろA級に昇格したかもしれない(^^;
ニールセンの交響曲(4、5)なんて今じゃ完全にA級入りでしょうなぁ。
ルトコワフスキやシマノフスキもベルリンフィルの定期では「普通に」演奏されているので、B級とは言えなくなってしまった。
こういうのって、昔はナクソス版でしか聞けなかった曲だ。
「B級クラシック」というのは洗練された味わいだとか高い芸術性だとかは問わない、まったく実質本位の駒ケ根ソースかつ丼のような作品と言う意味だ。
しかし、あまりメニューには載らない希少性のある作品ということも言外に含んでいるので、現代音楽の名品はことごとくB級にランクすることになる。
(しかしソースかつ丼の方は、近所のアピタ西大和店のフードコートでも出しているのを昨日発見。)

私が初めて「レコード屋」でナクソスのカタログを見て注文取り寄せ購入したのはコルンゴルトのバイオリン協奏曲だった。
これも今ではベルリンフィルのデジタルコンサートホールのアーカイブにはちゃんと入っている。
日本では演奏会に乗らないのだが、ベートーベンの協奏曲よりはよほど聞きやすく、、わかりやすい曲なんだがね。

ランチ・コンサートではハチャトウリアンのクラリネットトリオ(cl, vn, pf)というのが演奏され、横山亜美(vn)が作曲者の紹介をした。
「剣の舞」だけが有名だが、急場しのぎで一夜で作った曲でハチャトウリアン自身としては不本意だったとか云々。
このバイオリニストはステージンの上での「華」を持っている、まあタレント性がある、と言い換えてもいいが、いかにもバイオリニストらしい演奏者だった。
音色にも光沢のあるねばりのようなものが感じられて個性的だった。

ハチャトウリアンの終曲のアルメニア風の短いフレーズのねばり方が印象的だった。
そしたら、突然、ハチャトウリアンのバイオリン協奏曲の一節を思い出した。
演奏するレオニード・コーガンのヘの字型に結んだ口のいかつい顔までも。

ハチャトウリアンは自分の民族性をモロに素材に使った作家で、実にわかりやすい作風、親しみやすいメロディで、どちらかというと流行歌扱い、今ではもう殆ど演奏会では取り上げられない忘れられかけた作家になってしまっている。

純クラシック性から大きくは逸脱しなかったショスタコビッチ、プロコフィエフとはまったく違う。
ショスタコビッチはスターリンの批判をのりこえスターリン賞、プロコフィエフは亡命したが、結局ロシアに回帰ということで、時代の波や政治情況と作品とがどうしても対峙することになる。
「もっともこのタコは木登りが上手なので生き延びたのだが」(北住淳) むはは。

ハチャトウリアンでコレはない。
時代や政治とは全く関係ございません。
まさしくB級の王道。

コンサート終了後、日本ブラボー協会会員として横山亜美にイタリア語Bravoの活用を確認、クレモナ出身の当人はちゃんと活用して使うようにしているとのこと。Brava!
ついでにハチャトウリアンのバイオリン協奏曲を思い出してしまいましたよ、というと即座に「あ、あのタカタンタッタ」と返ってくるノリ。
この一度聴いたら忘れられない、という「わかりやすさ」もB級クラシックの大事な要点だろう。

民族的音楽j作家なので時代や政治に関係のない作風と言ったが、これは少々矛盾していて、民族的作家であるからこそ時代に翻弄される可能性の方が高い。
今、ウィキペディアで確認すると「ちゃんと」1948年に「批判」されているようだ(^^;
すんません。
B級と「政治性のなさ」とは全く関係ございません。

ついでに、アルメニア人と思っていたがグルジョア出身だった。
ちなみに、今月から日本政府は公式に国名標記を「グルジョア」から「ジョージア」に変えたと聞く。

カラヤン - ミコヤン - サロイヤン - ハチャトゥリヤン
みんなアルメニヤン。すいません。それだけ。

・・・なんて私は1999年に書いているが、ちょいと訂正しとくかな(^^;

これは私のFB友達のセルゲイだが、姓はマナジヤン(Sergey Manasyan)エレバン在住の正真正銘のアルメニヤン。 いや、左やない。右側。
太い眉毛に大きい鼻。どう見ても同じ民族だよ。
いや、私と、じゃなくてハチャトウリアンと。

先月、アルメニア人大虐殺の100周年で、EUやローマ教皇が20世紀最初のジェノサイドと認めたと報道されていた。
FB上のセルゲイからのジャノサイドに関する発信はすさまじかった。
アルメニア人はもともとアナトリア(トルコ半島)に居住していたが、キリスト教徒だったのでトルコ(イスラム教)から迫害、100万人が虐殺され、今のアルメニアに移住したと。

民族的作風だから時代・政治に関係ない、なんて全くあり得ないことで、時代や政治、宗教対立に翻弄されまくっていたからこそ民族的作風を堅持したのだ。
芸術的昇華なんてきれいごとを言ってられない、このB級クラシック的真実をみよ。
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