ウィーン(3)  サラエボ(2) 
[サラエボから東ベルリンへ]

 サラエボ(1)


'01 1月30日(火)2
市内からバスでウィーン国際空港着12:50。

オーストリア航空カウンターで搭乗券に取得。
13:15分発、後10分ある。
残りのシリングをサンドイッチにして食す。
空港回廊で朝ホテル食堂で一緒だったギリシャ人のおっさんにばったり会う。
住所を控えろと迫られる。こっちはそれどころではない。
言葉がぜんぜん通じず手間取る。

出国検査を経てサラエボ行き搭乗。
現地は雨との情報。
サラエボ空港近辺、地上が見える。
家が全壊・半壊している。

がらんとしたサラエボ空港、一切の観光的配慮はない。
しかしどこか緊迫した雰囲気。
ボスニア・ヘルツゴビナの有効な旅行情報はない。

空港外で客待ちしている白タクのニイちゃんと交渉。
市内のまで40マルク、ペンション(民宿)は紹介する・・・
ヨメは目顔で拒否するが、他に選択肢はない。
多分、ぼられながらサラエボ市内へ。

どこかの路地にあるペンションに紹介される。
白タクのニイちゃんと同じような服装印象の男と交渉、100マルク朝食付で契約。
普通家屋でトルコ音楽風のラジオ音が聞こえている。
2階に案内され、屋根裏部屋に落ち着く。
まったく実用的な旅行案内のない、既に”ヨーロッパ”でもない国のどことも知れぬ道端の民宿の屋根裏部屋。
しかし、到着早々自動的に宿舎が決まり、そこまで心配になるほどの家屋でもない部屋に落ち着けた安堵感の方が勝っている。
当時の100(独)マルクのレートはもう定かではないが、1万円前後なら民宿としてはぼられ気味かも。しかしこのような場所では定価はない。我々は上客なのだ。
もちろんウィーンのレベルの洗練された接客ではない。
しかし民宿のニイちゃんも上客にはなかなか親切そうな喋り方である。

荷物を置いてサラエボの町に出る。
雨で道が濡れている。

付近はかなり郊外の感じで低層住宅の間、鉄道線路脇の舗装されていない田舎道を歩く。
民宿のニイちゃんに”まだ地雷が埋まっているところがある”と聞かされ、至る所に見える銃撃戦の跡にも脅かされ、歩く足が竦む感覚に襲われる。
しかし、現に人が通っている道なら大丈夫なんだろう・・・

雨模様になる。
さびれた鉄道駅とがらんとしたバスステーションがある。
この時点で市内のセンターに行くのに交通機関を利用したのか定かでない。
どこかのカフェで休憩し、サラエボの中心街に到達。
カフェの印象はよく覚えていないが、町のどういう店に入ればいいのか迷い、結局簡易テーブルとイスのある比較的安直な店に入った(ヨメの記憶)。
後年、イスタンブールを歩いていて、どこかサラエボの町と似ていると思えた。
 (⇒「イスタンブールほんの少し観光」
ボスニアヘルツェゴビナは嘗てはオスマントルコの版図だったのだ。

右の黄色い建物は現在のGoogleMapではホテル・ホリディとなっていた。
旧ホリディ・インはボスニア紛争中、西洋諸国の特派員が拠点にしていたホテルである。

中央左上の建物はツインタワー。↓

GoogleEarthより  
当時の記載ではParlerment(国会議事堂)が見えていたハズだが、今は別の場所にあるようだ。

ツインタワー。
よく見ると壁面に銃撃による穴や焼け焦げた跡が見える。

比較的無傷のようなホリディ・イン。
雨模様で曇天に吸い込まれていくような背景が印象的。

かなり大きな砲弾貫通跡があるアパートメント。
ボスニア紛争停戦後も未だ不安定な情勢で、まったく補修されている様子はない。

サラエボ駅舎のようだが、同定できなかった。

聖ヨセフ教会・・・これはセルビア正教の教会らしい。
ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム系(ボシニャク人)、セルビア正教(セルビア人)、カソリック(クロアチア人)という混合民俗・宗教国家だった。
それがチトーが統治していたユーゴスラビアが解体し、民族間の紛争が表面化、周辺諸国からの武力介入も招き複雑な様相になっていった。

夜になり、寒気は厳しい。
「職人街」と観光案内に出ている地区到達、観光的街路でなんとなく京都の3年坂を思い出す。

一通り歩き、レストランを探すが、難航。
地元風レストランは男達がたむろし、とても女ずれで入れる雰囲気ではない。
イスラム圏では女性はあまり外に出ないのだ。
雨がみぞれになる。めっきり寒い。

かなり大きな”オリエンタルレストラン”と派手に銘打つレストランに入いるが、ヨメが難色を示す。あまりに観光客目当て風というか。
引き返して出る間際、中から「日本人ですか?」という声が聞こえた気がしたが?

結局、また通りをかなり戻ることになる。

一軒のレストランの裏口が開いていてちらりと店内が見えた。
比較的「まともな」感じだったので表にまわって案内を乞う。
かなり高そうな印象だったので先ずメニューを見せてもらう。
高いといっても知れていた。
安心して着席。

立派な広いホールだが、客はもう一組だけでなにやら怪しげな英語を喋っている。
地元スノッブ風。
串・ソーセージ・ひき肉団子等のミックスミート皿、等。
量は多目でワインも頼む。
まともな食事ができた。

・・と、当時のメモに書いてあったのだが、これも雰囲気、料理ともよく思い出せない。

帰りはタクシーでペンションまで。
宿の暖房は怪しげな電熱器だけだったが、部屋が狭いので暖かく十分だった。
サラエボ第一夜にしては意外と快眠。

up:2025/2/28(金)23:42
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